名越康文

@bardicband.bsky.social

の無軌道な魂のほうです。よろしくお願いします。

人生を戦いという側面で述べるならば、あなたが戦うべき場所にいなさい。それよりも下りるべきではない。だろう。しかし人間はともすれば戦うべき時を逸する。なぜなら下の景色は視野が広がっているからだ。 つまりそこには自己愛があり、自己愛は破壊を意味する。

波及効果と上昇効果(造語です💦)は違う。前者は単なる物理的な波紋のような影響だが、後者は人間の持つ連想や想像の力、つまり未来の力である。

まさに人間は19世紀に神を喪失した。憧れ、ゴールとしての神を。 密教ではそれを菩提心という。 人間だけが唯一この菩提心をもてる、つまり過剰に耐えうる本質を持つにもかかわらず。

依存するとは、部分になってしまうということだ。部分になるとは孤独になるということだ。 部分であれど、同時に全体であることは、祈りの中にいるということだ。

空海によると、真言と真如(仏様)とでは、より本質的な存在は真言であるという。これは唱えるという実際的な意味において、仏教実存主義ではないだろうか。

報復と寛容、つまりやり返せることと慈しむこと。この二つの矛盾をやや複雑に両立させることがおおまかな生存戦略である。つまりそこに必要なものが教養だ。でなければ功利的か短絡とみなされてしまうだろう。

自分が愛情をかけたものから受けるものは、憎悪である。それはいわば物理法則だ。だからこそ、愛情はエゴであると悟るのである。

日本人には空気しかないことが完璧にわかる。空気からは逃れられない。それを意識することが重要。そして寛容さ。すべては空気が支配しているのだから。特に誰かを責める時最も空気が影響する。

闇と光を分けたものはどいつだ。我々は本能の善人面を今こそ見抜くべきだ。闇こそが光を生んでいる。闇こそが時間を生んでいる。 闇の愛は流出の愛。そして言葉はたぶん、その闇との同意語にして、より本質なのだ。

真実とは何か。これを幻想ととらえることが常識となっているが、真実をもっと現実的にとらえることもできる。たとえば、無駄とは真実に基づかない行為や活動のことである。

確かに不空は空海に似ているのかも知れない。行動力、コミュニケーション、異文化を紡ぎ合わせる大胆な想像力、危険を顧みない胆力。