Dicekex

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あっちは音楽とか こっちはだいたい本のこと

保阪正康/鈴木邦夫「昭和維新とはなんだったのか」読了。検証って本当に大事な作業なんだけれども、あの戦争に対する検証は多分にイデオロギーに歪んだものとなってしまっているので。昭和初年くらいからテロの時代を経て日本軍が変質していく様を、立ち位置の違う二人の対談で洗い出していく、記憶に残る言葉がいくつもある重厚な本。 自分の立ち位置はここだとはっきり言える根拠になる知識教養が全然足りないなと思い知る。とりあえず、右翼だとか左翼だとか言ってる人は全部無視していいということはわかった。そういうことじゃないのだ。憲法云々とか偉そうに語ってみたいので、このあたりの歴史はもうちょっと突っ込みたい。

佐藤優「日米開戦の真実」読了。大川周明の「米英東亜侵略史」が丸ごと入っているのが有難い。歴史ドキュメンタリーで東條英機の頭引っ叩いている変なおじさんは、実は米軍ですら警戒せざるを得ない切れ者の理論家だった。 最も大東亜共栄圏なんてのは正直愚の骨頂で、アジアの独立のために中国その他を一旦植民地にするなんていう理屈は相当追い詰められないと出てこないトンデモ奇策だと思うが、大川周明の当時の世界や歴史に対する深い洞察に付き合っていくと、なんでそういう道を選んじゃったのかの一旦はわかった気がする。 佐藤優の解釈については若干腑に落ちないところもあるが、この人の立場からするとこうなるんだろうなという感じ。

ユリイカ「総特集 中上健次 生誕80年」読了。力の入った論考が並んだ良書。未完の遺作「異族」にかなりのスポット当てているのが新鮮だった。そうか、「異族」は読まないといかんのか。 中上健次は傑作と駄作がはっきりしている作家なので、多くの人が取り上げる作品と、ほぼ無視されてる作品がくっきりしているが、今となっては読む意味あるのかわからないエッセイも含めて、全作品読む価値はある、個性のきつい人である。 全集持ってる唯一の作家なので、死ぬまでにはちゃんと読みきりたいものだ。

原雅明「アンビエント/ジャズ」読了。大層なタイトルでさぞかし壮大なのかと思いきや、最初のマイルスとイーノについては面白かったが後半はただのディスクガイド。いちいちサブスクで引用されてるアルバムを参照してたのでECMの古めの音でいろいろ発見はあったりしたが。 最もこうやってサブスクですぐに聴ける時代になったということは、音楽評論もディスクガイドで充分なのかもしれない。 それにしても、菊池雅章の電気楽器ものは、何度聴いても面白くない。

旧約聖書「ヨブ記」読了。ドストエフスキーが好きだったらしいヨブ記だが、ここに来ていきなり宗教な雰囲気が満ちて来た。今までの雑な歴史語りの上で、神とはなんぞや?という問いと考察が宗教には必要なのだと理解。 しかし、冒頭のヨブへの仕打ちで、いい加減わかってはいたが、この神を信じたり敬ったりする気は皆無になるな。ヨブの信仰告白も、神の実態がこの調子なんで、自分にはよくわからない推し語り聞いてるような気さえしてしまう。ドストエフスキーはどのあたりに思いがあったのか。 次は詩篇なんだが、まったく信仰のない人間に読むことは可能なのだろうか。

呉明益「眠りの航路」読了。傑作製造機呉明益は、長編デビュー作から傑作製造機だった。 既に語り口は完成している。時間を行ったり来たりしながら、しっかりと時の経過の重さと厚さを感じさせる。第二次大戦中に日本に徴用されていた少年工が生きた台湾の戦後。三島由紀夫の影がちらちらする、戦争の時間の問い直し。「自転車泥棒」より若干荒いが、充分に刺さってくる。台湾は親日とかよく言うけれども、そんな単純なわけはないだろう。 今年もこの季節がやってきたので、そういうことをじっくり考える時間だ。

澁澤龍彦「偏愛的作家論」読了。作家論とはとても言えない雑文集。今だったら、若干めんどくさい本好きのNoteという感じ。 岡本かの子についての文章とか、今これ公にしたらジェンダー的な意味で相当やばい。女性作家というものを一括りに男性作家の下に見ていて、今の感覚だと読んでてはらはらする。当時超然とした佇まいでかっこつけてはいたが、しっかり昭和の人だった。

旧約聖書「エステル記」読了。ユダヤ人の国の復活再建の書。ここに至って神の姿はほぼ無く、雰囲気が歴史書になる。虜囚の苦難の日々を乗り越えて、存分に好戦的になったユダヤ人大暴れの重要な書なのにたった10章で終わったしまう、全体の空気感も奇妙な書。 このエステル書で歴史書が終わり、ここから先は知恵文学だそうだ。 次はドストエフスキーが大好きだったというヨブ記だ。

旧約聖書「ネヘミヤ記」読了。エルサレムの城壁再建に伴う、ネヘミヤ氏の世直し記といったところか。 こういう再生を進める人の典型として、原理主義的傾向が強い。綱紀粛正ってのは必要以上に厳しくなるのが常なので仕方ないのかもしれないが、やはりモーセまで立ち返ってのやり直しなので、当然の如く様々な差別選別が行われていく。 今現在のエルサレムの民の思考法にもかなり近いのは、やはりこの本の不気味な支配力なんだろうなと思うと、読んでて少々気が重くなる。

ヴァージニアウルフ「灯台へ」読了。文学らしい文学にどっぷり浸かる爽快感。 なるほど繊細で丁寧に一人一人を描き、それを安定した技法で折り合わせていく高度な作品なのかもしれぬ。ただそういうことではなく、自分の感覚からは微妙に距離のある人たちの中に目立たないようにいて、時に靄のような加減のようなその隣人の存在の片隅にずっと自分がいたような。作者が上手く作ってくれたスペースで、ちょうどいい距離ですべてを見ていたような、そういう読書。 文学的評価云々よりも、リリーさんと並んで「みんな着きましたかねー」とかいいながら海を見ていた時間がとても貴重だった。

旧約聖書「エズラ記」読了。エズラの世直し記。雰囲気が変わった、というか神が出てこなくなった。人々は祈りを捧げたり反省したり懇願しているが、ここまでお馴染みだった傲慢な神の圧力が、表面的には出てこない。バビロンに捕らわれて、そこで関係が変わったんだろうが、飛躍が大きく、説明もほとんどないので如何様にも解釈できてしまうのが、この本の一貫して狡いところではある。とりあえず内容的には少し広がりが出てきて、そういう意味では読みやすくなってきたので、この勢いでネヘミヤ記に突入する。

谷川俊太郎「空の青さをみつめていると」読了。初期の詩は正直きつい。特に「62のソネット」あたりは感傷度合いがベタすぎて、散文感が強く感じる。「あなたに」あたりから少しずつ良くなるというか、後年の雰囲気が出てきて、「落首」で完全に、自分の好きな谷川俊太郎になる。 「みみをすます」を小学生で読んだのが文学の入り口だったんだが、他の作品もいろいろ読んだけれども、「みみをすます」収録の6遍がこの人の頂点だと思ってる。あの異様に懐深い、それでいて張り詰めた緊張感のある詩は、この初期作品集の中にはなかった。

旧約聖書「歴代史下」読了。内容が列王記と完全重複。同じようなエピソードが延々と続く退屈極まりない復習。この文章がここにあるという聖書の構造自体、どういう意味があるのかわからん。 考古学的な意味でこの頃のイスラエルの歴史を知らないのでなんとも言えないが、この歴史をこのまま信用するのはかなり無理があるし、この神話的な歴史をどのように読み解くべきなのかもわからないので、だんだん自分が聖書読んでる意味がわからなくなってきた。 とりあえず次のエズラ記が、これまでの退屈さを少しは脱却してますように。

橋川文三「三島由紀夫」読了。三島について書かれた本の中ではかなり興味深い良作に思った。同世代で、お互いを知りつつ若干距離のある関係という立ち位置がいいのかもしれない。これが澁澤龍彦とかだと全然面白くないものになってしまう。 三島由紀夫は戦前に天才少年として登場したときに、後年の展開の全ての萌芽を既に持っていた、というのは他の論者も言っていることだが、橋川が面白いのは、生涯戦争と戦後の呪縛の中にいた三島を、自らも体験した戦前戦後の断絶と合わせて展開できるところ。内容的に腑に落ちるところが多いし、「三島のそういうところはよくわからない」でスパッと切って、変な妄想をしないところにも好感持てた。

津村記久子「この世にたやすい仕事はない」読了。面白かったです。が、最後の方は飽きてきた。ラストの締め方はちょっとがっかり。個人的には最初の3つの話の若干薄気味悪いリアリティがよかった。とりあえず明日から、たやすくない仕事に戻る。

三木清「読書と人生」読了。大昔に読んだ記憶があるが、中身はさっぱり覚えでなかった。大正、昭和の知識人の真摯な文章。くだけているのに品の良さがある、この文章の雰囲気だけで充分。 内容はよくある読書論なので、さほど新鮮味はないが、西田幾多郎やハイデガーの弟子だった人なので、20世紀前半のドイツや日本の哲学界隈の貴重なレポートでもある。 これらの文章が書かれた数年後に非業の死を遂げる人なんだけれども、もう日本にこういうタイプの強さと明晰さを持った人は早々現れないんだろうな、それが時代だ。 なんだか哲学やりたくなってきた。そういう本である。

旧約聖書「歴代誌上」読了。怒涛の系図ベタ書きに始まり、ダビデ王治世までの雑な復習に終わる、ここまで旧約聖書を読んだ中で、なぜこれがあるのか最も理解できない書。記載自体、聖書本編を書くためのメモ書きみたいだ。 ユダヤ、キリスト教徒の方はここに出て来てる人名とか、全部覚えたりするんだろうか。 とりあえず歴代誌下もあるので、かなり気分は凹んでいる。

閻連科「中国のはなし」読了。面白い。小説こんなに面白く読んだのは久しぶりかも。この人の本は初めて読んだんだがプロの仕事だ、これは。 両親と息子がそれぞれを殺害しようとしたことを延々作家に向かって告白するという状況に不気味なリアリティがあるってのが、中国という風土の狡いところで。改革解放の闇に、土着中国の残照が入り混じり、臭いや気温が読んでて肌に感じられるくらいの濃い描写の中の、暑苦しい人たちの過剰なやり取り。 思想やメッセージや告発ではなく、感傷的なのに激情的な不思議な世界だった。 閻連科の本はもう一冊あるので楽しみ。この一冊でもう認識は中国の文豪である。

加藤喜之「福音派-終末論に引き裂かれるアメリカ社会」読了。いきなり本筋と関係ないが、世界を無意味に大きな主語で考えることの危険さとアホらしさを思った。台湾がみんな親日なわけないし、反高市首相がみんな中国の手先じゃないし、トランプ支持者がみんな福音派なわけじゃない。 50年代から丁寧に福音派の山あり谷ありを追って行くんだが、やはりトランプ時代になってからの加速度は凄い。急激にイスラエルと接近していく様は吐き気を覚える。 日本に生まれ育ったのでアメリカからは強烈に影響受けて来ているが、カウンターカルチャーの側からしか見ていないととんでもない見落としがあるということを教えてくれる良書。

旧約聖書「列王記下」読了。イスラエルの分裂から終焉までの、各王朝の話の羅列で、同じ話が延々繰り返されてる気がして読むのはかなりしんどかった。ここでかなり時代が進んだはず。 最近Xでなぜか同時翻訳で海外のキリスト教徒の投稿が大量に流れてきているんだが、その中に「神の愛を感じない人は聖書を読んでも理解できない」というのがあった。神の愛は感じないので、さっぱり理解はしていない。とにかくこの未だ世界に影響を与え続けている本に何が書いてあるのかが知りたいだけなので、理解とか関係ない。もっとも、そんな暗号のようや経典なんて如何様にも解釈できるわけで、そうして生まれる宗教ってやっぱり怖いよなと思う次第。

クレスマンテイラー「届かなかった手紙」読了。妻が図書館借りて来て、すぐに読めるから絶対読めと言われて読んでみた。結果、妻に感謝。 これが1938年に世に出たというのがまずとんでもない。この時点で無名のアメリカ人はナチスの未来を正確に見切っている。アメリカで共に事業して成功した、ドイツに帰ったドイツ人とアメリカに残ったユダヤ人の往復書簡だけで、あの大戦争と人間の凄まじさの本質みたいなものを淡々と表現されて、しかも最後の復讐に背筋が凍って感想が言葉にならないレベル。 この本、Amazonで¥12000もしている。こういう本をちゃんと出し続ける良心持った出版社求む。このご時世なので切に。

三島由紀夫「鏡子の家」読了。大昔に読んでよくわからなかった記憶があるんだが、若造が読んで面白いわけない小説だった。タイトルになってるのに鏡子さんが薄くて求心力がないので、ばらばらな短編を同時進行で読んでるみたいだ。それでも読んでいて退屈はない。 全体を覆ってる謎の寂寥感が、特にこのご時世に読むと身に染みる。破滅とか大層な言葉が出てくるが、そういうことじゃなくて夏休みの終わり感覚の方が近い。大人の挫折物語は若造よりダメージがでかいだけだ。 三島由紀夫が何か違和感と正面対峙し始めたのがこのあたりなんだろうなと思う。この本で書けなかったことを消化するために、豊饒の海へ至る道を歩き始めた。

澁澤龍彦「三島由紀夫おぼえがき」読了。再読。個人的付き合いがあったせいで、衝撃の切腹については感情的になってしまうのが致し方ないが、近かったからこそな人間味は感じる文章。目新しくはないけれども。 後半の泉鏡花と稲垣足穂を語る二人の対談が面白くて、今回この本読み返した理由でもあるんだが、三島が「稲垣足穂は男性の秘密を知っているただ一人の作家」という謎高評価に「自分が日本中から笑われるような愚行をしても、稲垣さんはわかってくれる」と数ヶ月後の切腹をイメージして言っているのんだが、いわゆる三島事件についての足穂の発言て何かあったのだろうか。

旧約聖書「列王記上」読了。ソロモン王の治世とその後のイスラエル王国分裂の話。そういう本ではないので文句言っても仕方ないんだが、もうちょっと時制とか整理してくれたら楽しく読めるんだが。 神は相変わらず不信心者には厳しいが、預言者というワンクッションを間に挟んで登場して来る。そのくせ預言者の地位はあまり高くないようで、わりと簡単に殺されてしまうのがなんとも。 ちょっと驚いたのが、一人の子供を奪い合う二人の自称母親をソロモンが裁くという、いわゆる大岡裁きの話があったこと(列王記上3)。こっちの方がどう考えても古いので、旧約聖書のこの挿話がどういう経路で江戸の御奉行様になったのかが気になる。

マシューパール「ダンテクラブ」読了。最初の感想は、やっぱり推理小説は苦手だ、になってしまう。デビュー作のせいなのか、登場人物が薄くてわかりづらい前半に、大どんでん返し狙いすぎて訳わからなくなってるとしか思えない終盤。ダンテに関してもそれほど深く掘り下げてるわけでもなく、正直読むのが苦痛で何度もやめようと思ったがかろうじて完走。

旧約聖書「サムエル記下」読了。ダビデ王の治世の書。なんとも優柔不断というか、腰抜けな王様だ。 細かい内容よりも、神(主)と人間の距離感がますます離れ、モーゼ五書の頃はいちいちやることなすことちょっかい出してきた神が、時折預言者らの口を借りて短い指示を出して来る、といったポジションまで後退し、登場人物たちが人間臭さを纏うようになってきた。創世記は遠い昔のこととなり、人間社会というものがそれなりに成熟に向かっていたのがこの時くらいだったんだろうか。とりあえず一旦通しで読み終わるまで解説書の類いに手を出さないが、読んだ後にいろいろ知りたいことが出てきそうだ。次は列王記上。

投票日の大雪は投票率を下げるための自民党による人工降雪、という投稿をXで見て、選挙結果云々の前に日本終わってるんじゃないかと思った。しかし投票行くの寒かった。

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アンソニーデカーティス「ルーリード伝」読了。しみじみめんどくさい人だったんだなルーリード。自分の周囲にいたらとても我慢できない、弁の立つ癇癪持ち。天の邪鬼という言葉の化身である。音楽よりも、そのパーソナリティに重きを置いた評伝。 なんで傑作と凡作が交互に出てたのかとか、そういう長年聴き続けてる者としての疑問は結構解けた。もっと超然としてたのかと思いきや、売れたいという下世話な欲求に地団駄踏んでた。自己承認欲求の塊である。 家族とか元嫁とかの証言を纏めた、品のない暴露本になってしまう一歩手前で、著者の愛情が形になってる。詳細な歌詞の分析は秀逸だった。