柯捩

@dssg.bsky.social

虚空に呟きます。

発音ニュアンスの違いっていうのは活動する文化圏の個性なんだからそれは在って当然なんだよね。その場の標準、平均的なところに馴化しようとすることはそこに埋もれることでもあるってことには気付いたほうが良いかも知れないね。特定の純粋な狭い価値観に帰属したいというなら話は変わってくるけど、どこかに基準を合わせるってことは他の基準からは乖離するってことでもあるからね。

海岸や山間、環境を問わず人里近くでよく観られるスズメの群体。地域によって鳴き方に違いがある。
MetaAIによる生成画像

なぜ実写コンテンツが没落しアニメやCGIコンテンツが勃興するのか、これは大量生産に伴う低コスト粗製乱造により表現の記号化が許容できないほどに拡大深化したからだろう。 実写表現はかつてそこに在るそのものを写し取る手法としては最も精緻でありかつ低コストであったが表現方法としてデジタル処理による効率化と共にそこに在るそのものしか写し取れないという不利条件として反転したのだ、アニメやCGIにおいて記号化の拡大深化はむしろメリットでさえあるが実写においては事実表現上のリアリティが表現目的のリアリティを損なうという皮肉な結果になっている。

「αはもう全部βでいい」というフレーズに立て続けに出会ってしまったのですが、これはやはり暑さのせいでしょうか。それとも社会疲弊の結果なのでしょうか。

電子レンジはしばしば制御ままならない不確かな道具であると評価されるがこれは甚だ不当であろう。不確かなのは対象物テクスチャの偏倚、計量、設置と保管庫の温度制御であることが殆どだ。

芸術に対する情動は観察者がそれをインタフェースとして自己内面を接続することによって生じる相互作用と共鳴であり、作品そのものから抽出した情報の転移ではないという立場において構造上の矛盾があるのだと思う。

勿論本気で言っているのではありませんよ。 だが作品はその中で完結しなければならない、形式的であってもカタルシスを組み込まなくてはならないという強迫観念がそこにあるように思う。つまりあらゆる要素をデフォルメすることによって物語はその作品外部との接続を失い結果孤立することによってその感情要素さえもその世界固有の金型に押し込められ、そこで語られる世界は自食によって袋小路へ追い詰められるということなのだ。

ハリウッド映画、ハリウッドに限らないが、では題材の全てがデフォルメされるが感情以外の要素は恐ろしくデフォルメされる、どうせ理解されないならば批判するのさえ馬鹿らしいと感じるほどに潰してしまえという訳だろう。しかしならば感情についても同様に扱えばよいのではないだろうか。

行動論理の無秩序さが警戒強度と相関するのは当然かも知れない。 だが秩序調和があり予測可能性が高いと見られている対象であったとしてもその上辺の論理とより低水準にある価値観の乖離を量ることの困難さもまた事実だろう。そこに矛盾をみせることによって信頼性高く評価されることを狙ったレトリックであるとも思えるがそうではないかも知れない。

青空を背景にたなびく煙突の煙の図
ChatGPTによる生成画像

他者の権利を制限する事象について考えるときは先ず己の感情のみを理由とした断定を留保し最低限他の論理との不整合が無いかを検証する必要があります。 つまりそのような場面において感情を盾に絶対的正義を主張してはならない、議論を拒否してはならない、許されるのはただ己が議論から離脱することくらいだ、ということです。

ダイオードの図
MetaAIによる生成画像

内閣に対する警告決議について、自由民主党成立の経緯を見ればこのような指摘の継続こそが行政指針への民意の圧力となるでしょう。また高市氏が表向きの人格通りだという前提において支持するのであればこのような正当な批判こそが氏への強い支援となるでしょう。 自民党は正当な批判圧力があって初めて機能する組織であり無条件の支持、または有効な焦点を欠いた批判の応酬によって言論が飽和する環境においては構造的に制御を失い迷走は必然なのです。

マチュは物語の登場人物としては何とも思わないけれども人間としてみれば関わりたくない類型の上位に数えられる。 GQuuuuuuX世界にPSYCHO-PASSのシビュラシステムが在ればかなり早い段階で潜在犯の色相を検出されていただろうね、未成年にある程度の保護やフルスペックの権利が与えられない理由として観ると面白いかも知れない、そういう意味ではキャラ設計が秀逸だという評価も大いにあり得るだろう。

高級食材だけを買い集めレシピ開発や店舗運用をなおざりにした飲食店の様相、運用管理が杜撰だから食材も腐ったり価値を失うしかない。 たとえ適切な運用があってさえ、ありふれた安価な食材を用いた競合店に勝利できるわけでもないのだ、メッツはTV芸人が勢いで起業した高級焼肉屋、ドジャースは三つ星創作料理店、ブリュワーズは地元で人気の粉物屋という趣だ。

MLB球団それぞれの業態の擬人化図
MetaAIによる生成画像

世の多くの人はAI(と呼ばれているもの)が何であるかを知りません。過去の価値観において言説はそれを発した人格の権威性により真正性が担保されていたように勘違いをしていただけであり「言説はそれを発した人格」という概念の輪郭が滲むことで混乱が生じているのです。しかし、言説というものはその内部に意味をもっているのでありそれを世に放った人格がContextとして修飾されるというのが本来の姿であり言説の本質そのものの評価が重視される環境に移り変わってきただけであるとも言えるでしょう。そして人格は何を言ったかではなくその場において何を提示したのかという選択によって評価されるようになるでしょう。

選択と提示により価値を提供する人物の図
MetaAIによる生成画像

F1はレジットRTAではなくグリッチ有りのTASだね。 西欧文化にとってそれがより親和するのだからこれも自然の理。

宮崎駿は所謂「現代日本リベラル」の典型で個人感情に根差した理想を追求する存在であり夢想家としては優秀だったが現実の不合理を作品へと昇華させるような芸術家ではなかった、ということだ。 宮崎も作品によっては毒を描くことはあってもそれは現実を前提とした止揚の題材ではなく理想を認めさせるための犠牲としての配置でしかない、作品の良し悪しを言うつもりはないが、明確にそこは異なるということだ。 宮崎の作品はある意味において平和の象徴と言えるだろう、それは平和実現のということではなく平和が意図しない形でもたらされた結果そこに残留したどうしても振り払えないわだかまりに追い立てられたものの具現化と言う意味でだ。

「ミリ単位」という句の使用意図は十分理解できるところですがそこに想定される語義は表現自体とは裏腹な場合が多いように思います。 この表現は国際単位系が制定された時期当時に新聞記者などが使い始めたのではないかと推測しますが、そうすると通話リクエストを「ダイヤルをする」等というのと同類となるでしょうか。 現代においてミリメートル水準の誤差は日常生活においてもスマホケースが嵌らない、密封容器から内容物が漏れる、3Dプリンタなら完全に機能不全となるなどの実感であり、つまり「かなり大雑把な」あたりの意味づけが妥当なのかも知れませんね。

国際単位系が制定された時代のDIY風景
ChatGPTによる生成画像

友人は選びなさい、それがあなたの正義の質を、そして最終的には生死さえも左右するのだから。

地植えされたミント
Geminiによる生成画像

少なくとも現時点で #AI (と呼ばれているもの)はその推論においても既知のデータを前提にするものであり学習データセットの選別、結果を導くアルゴリズムや方向性を規定するガードレールといった要素は運用によって恣意的に決定されます。AIと呼ばれる誘導装置の運用権限を所有する意図によって歪められることが危険の本質なのです。構造的にはその機能効率を最早十分に発揮出来なくなった #マスメディア の代替であると観るべきでしょう。つまり #認知戦略 という概念下においてこれは軍事兵器なのです。

ケイト・グリーナウェイ画『ハーメルンの笛吹き The Pied Piper of Hameln』1910年刊

劣等感に執着して生きることは自ずと同じ執着を持つ層に自らを還元することになる。惰性に任せれば吹き溜まりに流されるが人には足を踏み出す向きを決める自由がある。自己内面を改革し執着という名のブリンカーを外し視点を高く持とう、世界はそんなに狭いものではない。

カンパチに狙われるアジのbait ball
Grokによる生成画像

タロットや占星術はそのロジック自体に問題解決の効果がある訳ではなく問題事象の観察視点や解釈の論理構築の継ぎ手のバリエーションを強制的に広めるランダマイザーとしての効果でありそれと認識した上で用いるならば大きなメリットが期待できるのです。 そしてそこで得られるものは視点の揺らぎや思考の柔軟性拡大でしかなく、本質的な問題解決の背景知識や能力が伴わなければ求める結果に近づく助けにすらならない、つまり潜在化し即応できない能力を掘り起こす道具としての性格が強いということです。

サルバドール・ダリ 記憶の固執の崩壊

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という一節を安易に引用する人は多いが両者に然したる差はない。何れも歴史的経路依存性について述べていることに違いはなくそれが個人の実存としての記憶に依るものなのか或る共通認識の視点によるものかという違いでしか無い。また歴史を云うならばそれがどのような立場によるものかを規定しなければ意味は無くその場の都合でそれを選ぶ仕草はファブリックショウケースから好みのカーテンを選ぶくらいの意味しか無くそれなら実存としての経験の方が余程信頼が置けるのだ。

べイリーズにコアントローを5%程度垂らしたのがうまい。 チョコレート効果95%をゆっくりと舌の上で溶かしコアントロー=ベイリーズでこれを洗い流しノーソルトトッピングのクラッカーまたはパイシートを短冊に切ってただ焼いたものを食べると最高のルーチン、ループしなくとも大きな満足感がある。

楽天イーグルスのマークってEに羽が付いてる意匠だと思ってたけど「天」を模してるんだなっていま気づいた。でもどっちかというと「无(無の異字体)」の方に見えるんだよなあ。

東北楽天ゴールデンイーグルスのチームロゴ

政治家の発言はその瞬間の態度を観るのではなく個人人格の履歴として評価すべきだ。言動の一貫性を欠くのは自律思考体ではなく他者からの指令をコンテクスト評価の影響を受けながら逐次実行する末端デバイスだからであり主義主張自体が目まぐるしく変遷するのは指令接続自体が不安定であるということだ。 一つの価値観として言えることは屏風の陰から政治を試みるような輩を国家主権たる国民は選択すべきではないということだ。

豊竹肥前座 乱菊枕慈童

サッカー日本代表監督の人事について。 森保監督のチームは統一した目標到達への思想敷衍とゲームにおけるその自律実行が原則であり彼はオペレータではなくメンターなのでマンネリという危惧は的を外しているだろう。 またそのようなチームビルディングだからこそ、そこには適合し難い選手も出てくるということであり「選手起用の固定化」や「情に厚すぎる人情主義」という評価はその適合性による選別を読み違えたものだと言えるだろう。 監督任期終わりによる反動という危惧もオペレータ型の監督の特徴であり、日本代表としては森保監督が創った自律解決型を伝統として受け継ぐべきだろうと思う。

尾形光琳による八橋図 六曲屏風一双

LLMによって生成された存在しない判例や条文の引用や証拠の捏造と言う問題は旧来の価値観において文書の作成者の権威性により備わっていると見做された真正性を過信するあまり内容の検証が不十分であった情報伝達の脆弱性が顕在化しただけのことです。 恣意的なデータ生成が極めて容易となった現代において誰がそれを生成したかは問題にはならず、誰がどの立場でそれを提示したのかが評価における本質であり、データ検証の不十分は怠惰の結果としての過ちと見られるようになるでしょう。

画家ヨハネス・フェルメールによる絵画「天秤を持つ女」