鉄腕アトム、国民的キャラクターとしてお出しされているのに天馬博士に事故死した息子の代わりとして造られて捨てられるというクソ重出生譚がある上に最後まで解決しないので中々凄い。ルーツはピノキオでありフランケンシュタインなのでしょうが別に人間になる為に戦ってるわけではないので…重い!
MGSDエアリアル組んでる ビームエフェクトがHGエアリアルのグリーン版になってて、交換して出力変えられるっていうガンプラらしいサービスがあって、滅びた都市で仕事してるロボットを見たような儚さを感じる
このほんの僅かな描写は「AI=脅威」から「AI=対話可能な異なる知性」へのイメージの拡張は、後の日本のサブカルチャーにおける人工知能キャラクターの造形にも一つの分岐点を与え、その形成に大きな影響を与えた要素だったのではないだろうか
士郎正宗の大きな功績は、当時は主に論文や研究領域で扱われていた人工知能という概念に、「フチコマ」という具体的なキャラクター性を与え、読者が理解できる物語上の存在として提示したことにあるのではないか。 それまでのSFにおけるAI像は、HAL 9000に代表される「冷たい超知性」や、後のターミネーターのような「人類に対する脅威」として描かれることが多かった。 一方でフチコマは、異質な存在でありながら、人間と対話し、時にはユーモアを交えながら共存する知性として描かれている。
フチコマ同士が情報を共有し、少佐と議論しながら思考実験を行う描写は、現在ではAI同士の協調やブレインストーミングのイメージとしてむしろ非常に自然に感じられる。 しかし、実際に大規模言語モデル(LLM)のような技術によって、複数の知的エージェントが情報を生成・検討しながら問題解決を行う世界が現実味を帯びたのは2020年代に入ってからである。 『攻殻機動隊』原作が描かれた時代はインターネットもまだ黎明期であり、このようなネットワーク上の知性やAI同士の相互作用というテーマを扱ったこと自体が非常に先進的だった。
攻殻機動隊の世界では、脳をネットワークに接続された義体へ移植することで、「自己とは何か」という問いそのものが揺らぐ未来が描かれている。 さらに光学迷彩は、自らの身体を他者の知覚から消し去り、「自己の境界」を曖昧にする装置として機能する。 押井版で繰り返される少佐の「ゴーストが囁く」という感覚は、クオリアのような主観的体験「外部からは観測できない第一人称の感覚」こそが自己の拠り所であるという解釈もできる。
囁くのよ…私のゴーストが、というデカルトイズムに対して、自分で有り続けたいという執着から解放される人形使いが提示した融合後の世界…サイバーパンクの先の未来が描かれるという話だったのでは(なので、ネットは広大だわという言葉で一旦終わる)
時代が進んでAI(機械)の回答を自分の思考とすり替える人間が出てくる中で、ゴーストが囁く…自己の存在を疑う自分自身の判断に身を委ねている、という作品が未来を描いていたのは中々凄い
平成版GHOST IN THE SHELLも視聴したのですが。原作も境界線の話がテーマなのに…原作要素がノイズ!というのは解る 冒頭で義体の少佐が光学迷彩によって姿を消し、その後、本来は数話先のエピソードである、ほぼ生身のトグサが記録や観測データから光学迷彩を纏った侵入者の存在を突き止める「人形使い」のエピソードへと繋げる。 この再構成によって、少佐の「ゴーストが囁く」デカルト的な考える主体と、情報の痕跡や観測によって存在が立ち現れるサイバーパンク的世界の対比が前面的にフォーカスされている。 そして光学迷彩は単なるステルス兵器ではなく、自己の境界を更にあやふやにする舞台装置として表現されている