丹菊逸治

@itangiku.bsky.social

大学教員。ニヴフ言語文化・アイヌ言語文化。書きっぱなしアカウントです。議論はしません。基本的にコメント読みません。すみません

ニヴフ民族の伝統的な考え方ではあの世とこの世では一生の長さが異なり、この世は「靴ひもを結ぶ間」と呼ばれ人生が短い一方、あの世の人生は長い。生者があの世に行って帰ってくると長い時間が経ってしまっている。時間の速さが異なるのか、たんに人生の長さが異なるのか、考えてみるとよくわからない

『さよならララ』は基本が「娘が家族を救うために真実の愛を探す」というしんどい話なので、登場人物がみんないい人たちでもやっぱりしんどいはしんどい。少子化で親戚一同の期待を少人数で背負わなくてはならなくなった今の若者たちの姿でもある

件の研究者によるTwitter投稿は「権力者による血縁者の優遇は、血縁者は顔が似ているがゆえに、血縁によらない優遇より国民に意識されることになるだろう」という主旨としか読みようがない。その一方で、使っている用語には問題があります

『機動戦士ガンダム』シリーズのファンの間でよく議論になる「宇宙戦闘機よりモビルスーツ(人型ロボット)が有利な点」は、私としてはただ「ビームサーベルが使える」だと思います。『ルパン三世』の石川五エ門の斬鉄剣や『スター・ウォーズ』シリーズのライトセーバーのような

「和の精神という哲学」を欧米には売り込めないけど、グローバルサウスになら売り込めるだろう、というのはアジア・アフリカ蔑視なんじゃないかと思いますね。欧米に対しては「物語」を売るのだ、というのも自己卑下っぽい

日本人だろうが外国人だろうが不起訴になるのはだいたいが証拠不十分。自白があったとしても実はかなり怪しい(危うい)自白で証拠に使えない自白だった場合も不起訴になる

ダブルリミテッドやセミリンガルは疑似概念です。少なくとも言語現象ではありません。よく例としてあげられる「漢字の習得の遅れ」「敬語・ビジネス会話・学術用語を知らない」などは言語の未習得ではなく「文化の未習得」です。言語と異なり自然に身につくものではなく、特殊な訓練を要します

ダブルリミテッドやセミリンガルというのは疑似概念。少なくとも言語現象ではないです。「言語習得が不完全なせいで論理的思考ができない」なんてことはあり得ません。論理的思考ができないように見えるとしたら、それは別の要因によるでしょう

『機動戦士ガンダム』で「マチルダさん」は輸送機でドムに突っ込み命を懸けてアムロを救った。だから続編『機動戦士Ζガンダム』で再登場したアムロはまず輸送機でドム顔のアッシマーに突っ込んでハヤトたち本隊を救った。これはアムロからマチルダへのお返しだったんでしょうね

「親が英語話せないのに子供をインターナショナルスクールに入れてさらには外国に留学させ、子供はどこでもいじめられて親も頼れず酷い目に遭った」という話が流れてきた。本当に辛い状況。先住民族の多くもまさに民族丸ごとそういう目にあってきた

世襲権力者の顔が似ていることを称賛すべきではない。それは下品な行為である。世襲権力者の顔が似ていることをけなすべきでもない。それも下品な行為である。そして、どちらかが許されるなら、もうひとつも許されるべきである。権力者への言及は結婚式のスピーチとは違うからだ

『逆襲のシャア』のサイコフレームというのは商業主義のこと。ガンダムシリーズはガンダムという機体の人気とシャアというキャラの人気で続いてる。だからシャアがアムロにサイコフレーム(=人気)を分けてやることで作品が成り立つ。ガンダムと商業主義が合体すると、科学考証を蹴散らして劇中で隕石を押し戻すことすらできる

ガンダムシリーズではアムロよりシャアのほうがブランドとしての力が上(少なくとも当時は)。だから『逆襲のシャア』のタイトルには「シャア」が入ってる。劇中でシャアがアムロにサイコフレーム技術を分けてくれるというのは、シャアがブランド価値をアムロに分けてくれたということでもある

『機動戦士ガンダム』シリーズの「ガンダムという機体の特殊性」は「金の力(商業主義)」という特殊能力であって、富野監督はそれをちゃんと分かるように描いている。隕石を押し返したり、みんなの力を吸収してスイカバー攻撃をしたり。「サイコフレーム」自体が「金の力(商業主義)増幅装置」でしょう

「◯◯はガンダムなのか」という論争があるのですね。それより私としては「ハイザックはザクなのか」のほうが問題だと思うんですよ。でもハイザックもグフもザクの一種だとしか思えないし、当然リック・ディアスはドムの一種

「異世界やナーロッパの冒険者が情報収集のために酒場に行く」のはむしろ説得力ある展開じゃないでしょうか。「情報屋が情報を売ってる場所」だからでしょう

『機動戦士Ζガンダム』でのシャアは意図的な戯画。「赤い彗星」だから服だけ赤、「金髪のキャスバル」だからモビルスーツは金色。「正しいニュータイプ」だから「ニュータイプの悪用」であるサイコミュは使わない。攻撃重視スタイルなのにビームコーティング装備の防御重視機体。何もかも中途半端

「百式に乗ったシャア」は『機動戦士Ζガンダム』が「だらだら続くわけのわからない話」であることの象徴です。百式はめちゃくちゃかっこいいのに、サイコミュもサイコフレームも何もないニュータイプ非対応機で、シャアの能力を十分には引き出せない。操縦席も胸にある「シャアの迷い」そのものです

1980年代ロボットアニメ、特に富野監督・高橋良輔監督作品の「敵も味方も同じメカ」というのは、第二次大戦後の世界各地の戦争を意識してもいるのだと思います。『機動戦士Ζガンダム』も『装甲騎兵ボトムズ』も「大戦後の内戦・局地戦争」の話です。敵と味方が同じ兵器で戦う事態が生じる

「『機動戦士Ζガンダム』は連邦がハイザック、ティターンズがサイコガンダムを使っていて敵味方が判りにくい」のは当時特に変じゃなかった。そもそも「敵も味方も同じメカ」は定番で、同じ富野監督の『戦闘メカ ザブングル』や高橋良輔監督の『装甲騎兵ボトムズ』などの先行作品ですでに慣れてましたね

『逆襲のシャア』の「サザビー大きすぎ問題」は富野監督はあえて放置したんだろうと思います。ガンダム第一作終盤以降は「シャアの乗機は頭部に操縦席」です。シャアが「頭で考えるタイプ」だからです。そしてサザビーは「パーフェクト・ジオング(脚付きジオング)」だから大きさもあれでいいのです

『機動戦士Ζガンダム』の「サイコガンダム」は当時から「ララァが乗ったパーフェクト・ジオング(足がついたジオング)」だと思いましたね。つまり一番強い組み合わせ

『機動戦士Ζガンダム』ではそもそも「ガンダムは悪役」です。「マークII」「サイコガンダム」など、第一作のガンダムに似てれば似てるるほど悪役。Zガンダムはあまり似てないから善玉。そしてリック・ディアスは実はガンダム系との事前情報も流れていた。「悪役ガンダムを善の偽ガンダムでやっつける」話です

今の日本のアニメは海外市場抜きでは成り立たなくて、そのためいわゆる日常系アニメが絶滅した、という話が流れてきた。配信がDVDを駆逐して「国内市場で作品ごとに稼ぐ」手段がなくなったんでしょうね。配信はまとめて定額が主流だから

私が子供の頃だって北海道ではジャガイモはたんなる食べ物ではなくて、主食の一種でした。北海道のジャガイモが病気で壊滅する、という可能性にはやはりうっすらと恐怖を感じます。うっすらとではありますが、他とは違う恐怖です

「アイルランドのジャガイモ飢饉」の結末は「アイルランド人がたくさん死んで可哀想」じゃなくて「だから結局アイルランドはイギリスから独立した」でしょう。アイルランド語をほぼ消滅させられ徹底的に同化させられていても、それでも独立したのです

著作権の保護期間が死後70年は長すぎると思います。しかし没後すぐ保護期間終了という仕組みにすると、現代では著作権者の命が危うくなる可能性もあります。やはり没後20〜30年は必要だと思います。ただ、あまり長いと「忘れ去られてしまう」。それは避けたいでしょう

「マイナンバーカードは国がやってるからサービス終了リスクがない」という主張が流れてきた。それはどうかな。住基カードとかどうなったっけ