しまざきジョゼ

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イラストレーター。 連絡先 : jozephine.1123@gmail.com For inquiries from outside Japan, please see the contact section on my website.→ https://joze1123.tumblr.com/

昔好きだった作品に固執するなんて年寄りのすることだぜ!て10代の頃は思っていた気がするけど自分の人生経験とてらすと違う見え方になったりして、名作は時代を超えて新鮮に楽しめてしまうんだな

奥さんとの対話の中でなぜ描けなくなったのかも今どういう状態なのかも全部把握できるようになって自分のことを以前よりも深く理解したことでもはや生き方が変わったと言っていい。絵を描くぞ。あととりあえずデザフェスの準備をする。

描いた絵に関して、自分は全然そこに関心はないのにノスタルジーという言葉をいただくことが結構あって不思議に思っていたのだけど、カメラを触るようになって自分が心地よく思っている色味というのはフィルムカメラで撮られた写真に近いというのがあって、これがノスタルジーの正体かもしれない

最近は写真や動画など思い出を見える形で残すようにしているけど積み重なっていくのが嬉しいのと同時にこうしてひとつずつ死に近づいているんだなあなどメメントモリしてる

文章を書く時「雨に濡れて読めなくなったノート」と「雨に濡れて読めないノート」だと表現したい雰囲気としては前者のタカタッタという軽快なリズムが印象に合わないので意味は変えずに後者のような平坦なリズムになるように言葉を組み替えるという作業をしたくなってしまう。

腰痛と一年付き合う羽目になるとは思わなかったけれど来年はもう少し活動を増やせそう。それはそれとしてどうなるんだこの世界と思うことが多すぎる。自分の絵を読み込んだと思しき生成画像をみてしまって落ち込むなどもあった。個展をやれたのはよかったな…。

本読んだり友達と会ったりでSNSに求めるものがもうあまり無い。作品を見てもらえるのは嬉しいのでそういう場所があるといいなとは思う。もう少しインスタを頑張ろうかな。激動の時代だ。

子供の頃ハリーポッターを読んでいて、人間の世界で家族にも恵まれなかったハリーが魔法学校で魔法が学べる機会を得たら勉強なんて楽しくて仕方ないだろうに当の本人はあまり学びに積極的でない態度なのが腑に落ちなくてずっとうっすらそこが気になっていた思い出。

たとえば魔法で石を金に変えられます、という世界観のとき、金に希少価値が無くなると思うのだけど物語の中でさも貴重なものとして金が扱われているとわりとそこが気になって入り込めなくなってしまったりする。

自分の絵を描こうとしても描きたいものが何にもないなぁと白紙を前にほんとうに呆然とするんだけど、自分のこれまでの人生からドリップできるものは全部描いたということなのかもしれない。インプットのターンだ

怒りは同じ熱量で抱えたままちゃんと冷静にものごとを見つめ続けることと何事も一発逆転はないので僅かでも良くなっていくように祈り行動すること。それはそれとして焦ってしまうような世の中になってしまったんだなという悲しみもある。人間とは

「セイント・フランシス」を観た。セオリーに沿って観客を気持ちよくしないところに誠実さが滲んでいて良い映画だった。レビューに男には理解できないですね、とたくさん書かれていて、どうせ理解できないと突き放すことが相互理解から遠ざかる最初の一歩だと思ったし、それは対話を重ねることの大切さを描いたお話の内容を何も理解してないじゃん…と思ったりもした。もちろん生理痛の辛さ等は想像するしかないけれど、想像力で思いやれるのが人間であって…と、ぐるぐる考えてる。