シラカワリュウ🦀𝙍𝙞𝙪𝙎𝙃𝙄𝙍𝘼𝙆𝘼𝙒𝘼
@laviverrs.bsky.social
絵を描いたりコラージュしたり文章を書いたりする小旅行家、漂泊者。 初個展「PDCA」は2024年12月10日-12月15日に上野のROUTE GALLERYで開催しました。 XとかInstagramとかnoteとかSUZURIとか、各種リンクはこちらにまとめてあります👉️ https://lit.link/riushirakawa
「その曲を知ってる」と「その曲がテーマ曲になってる映画を観たことがない」の割合から算出される「映画音楽独り歩きランキング(邦画編)」を作った場合『戦場のメリークリスマス』と『菊次郎の夏』『仁義なき戦い』がトップ3になるだろうか。
開高健の酒と煙草に関するエッセイをまとめた『瓶のなかの旅』という文庫本を読了。面白かった。 「夜中にタバコを切らした時の苦痛といったらない。何度キリキリ舞いさせられたかわからない。あそこにないかここにないかと、灰皿をひっくり返しゴミ箱までかきまわしたことがあったけども、どうやら湿ってない一本を拾い出した時の喜びというのはないナ。」 という一節を読んで、これが昭和のヤニねこか…と大笑いした。
これ元絵(2巻のカバー絵)はステーキだったから石和がフォーク持ってるんだけど、柿の種に差し替わっても石和だったらまぁいいかってなるのが強い。
ハンチョウ柿の種、妻が発見してくれた!
島尾敏雄『出発は遂に訪れず』読了。 恥ずかしながら本を手に取るまで聞いたこともない作家だったが、凄まじく面白かった。島尾敏雄は戦時中に加計呂麻島で震洋特攻隊の隊長を務め、8月13日に特攻命令が出たのに延期され、そのまま終戦を迎えたという経験を持つが、この経験によって生まれた「死ねなかった自分」と「生き延びることができた自分」の間のエアポケット感覚が唯一無二の世界を描き出している。
OP曲『なんもねえ』のインパクトが強すぎるせいかあんまり触れられていない気がするが、 #ヤニねこ は音楽にムーンライダーズの鈴木慶一さんという超大御所を起用しているところが秀逸だと思う。BGMの質感のせいでずっと白昼夢を見ているような気分になる。サントラ出してほしい。
私はイカ納豆が好きだ。 居酒屋のメニューにイカ納豆があれば反射的に注文する。それくらい好きだ。 だがこのメニューには大問題がある。イカ納豆にはワサビを入れるべきなのか、それともカラシを入れるべきなのかという問題である。 イカ納豆におけるメインがイカならばワサビであろう。しかし納豆がメインであれば当然カラシということになる。両方入れるという選択肢は無い。ワサビとカラシはそもそも合わない。写真のような形式で提供されると、これはもう人生観を問われているようなものだ。私は納豆に混ぜたイカを食べているのか、イカに混ぜた納豆を食べているのか。 諸君はこの問題に真面目に向き合ったことがあるのかね。
ファミマ行ったら「ファミチキ」と「ファミチキ(ファミマ味)」という別の商品があって激しく混乱。書店に行って『吾輩は猫である』と『吾輩は猫である(夏目漱石)』が並んでるようなものではなかろうか。
とある小説(終戦直後くらいの)を読んでいたら「手屏風」という言葉が出てきた。ライターで火をつける際に風除けでかざす手のこと。あぁ手屏風!手屏風ね!上手いこと言うね!!と妙に感心してしまった。あの動きを表現する言葉を知らなかったので。
My Little Loverの『白いカイト』を聴くと、中学生の時に使っていたカセットウォークマンをガチャっと開いた時の手の感触まで蘇ってくる。
家の前の側溝に水を流して細い川を作り、小石を置いたり葉っぱを置いたりしながら水の流れをただただずっと眺めている子供だった。水がアクリル絵の具を溶かした色水に変わったけど、やってることあんまり変わらないな、と最近思う。液体の予測不可能な動きが描き出す軌跡が好きなのだ。美的好奇心の根底には今もカオス理論がある。
『22世紀の戦争論 なぜ人類は戦争を繰り返すのか』(著・下村建太)を読了。 「人」「社会」「国家」「国際社会」という4つの視点から戦争が発生するメカニズムを論じた書。かなり良著。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』とともに現代人が読むべき書だと感じた。終章で著者自身が認めている通りページの都合からか「人間の権利欲」や「男性性」は語られていないのでこれは続編に期待したいところではあるが、読みながら湧いてくる「じゃあ◯◯は?」という疑問が次のパートで見事に補足されていくので読者の思考への寄り添い方が見事。これまで何冊も戦争に関する本を読んできたが、ここまで網羅的でかつ分かりやすい本も珍しい。