みたび

@mitabi12.bsky.social

イラスト描き。 X https://x.com/mitabi12

Blueskyを創作の中心に移して、イラストもアップロードしましたが、今の所やっぱり気が楽です。評価を気にすること、執着すること。Xではそこから逃れるのがあくまで僕にとっては難しかったこと。すべて楽になりました。刺激が恋しい気持ちもありますが。

grokくんに聞いたら伸びやすいイラストと伸びにくいイラストの格差は明確に広がっていて、特にイラスト一枚を投稿するだけだとかなり厳しいと。 今後はイラスト一枚とってもいかにバズらせるか、インフルエンサー視点が重要になってくるそうだ。 Xはイラスト置き場にして、同人とか自サイトとか別の評価軸を持つタイミングが来たなと感じる。SNSがスロットマシンの原理を活用していると言われるのはもはや知ってる人は知ってる話だけど、いいね数を気にしないは無理なので こっちが行動を変えるしかない。

イラストの評価が右肩下がりで苦しいのは、正直ある。これは正直に思う。 でも同時に、そのイラストひとつひとつに何を込めて、何を期待したのか思い返せば、いいね数が500→10になっても、10人がその思いを肯定してくれたと思える。 一人でもいいねしてくれたら感謝すべきというのは一見正論に見えるが、ふつう1いいねが何回も続いたら心が折れて筆を折る。ゆえに極論でもある。 イラスト一つ一つに、テーマ設定をしてしまえばいいと思う。それが達成されていれば、あとは野となれ山となれ。評価がどうなれど、自分では満足した方が創作を続けられる。 修行みたいだが上澄み1%以外は実際こんな事の繰り返しだ。

ブルスカもパプリックではあるけど限られた人しか見てない印象 結局自分はオタクのたまり場みたいな隅っこが好きなんだよなと思う

ブルスカの自分のTL見返したけど堅苦しいのとイラストが交互にあって笑ってしまう これが本来の自分です こっちのが息がしやすい、ブルスカあって良かった Xはパブリックになりすぎてしまった、発言一つ一つがよそ行きの感覚。

そして返す刀で、Chatgptと孤立する弱者男性(これ自分含むって言っていいのか?実際そうではあるが自分で孤立していって言うのもなんだか難しい)の社会への参画方法についてさっきまで議論していた。こういうのはLLMの得意とする分野(自分の考えをLLMにぶつけて論点を整理していくのは非常に有効。極端な危険思想は向こうが警鐘をならしてくれる) イラスト生成AIは明確に違法なデータセットを使っているという点で議論の余地だらけだが、LLMはどうなのか。もう走り出してしまった汽車だけど、制度や規制をほっぽり出してどんどん進んでいく現状に不安も覚える。

なんだろう、AIイラスト(トレス含む)って不思議と「あ、これAIだ」ってわかっちゃうものも多いよね 不気味の谷現象はとうに超えてるのに、いまだにそういうイラストに遭遇する AIイラストは線画に迷いがなさすぎる。人が描くとブレや迷いが生じるが、そうした矛盾はAIがランダムに起こすにはまだ難しいんだと思う。これを再現できるようになるといよいよ終わりが近づいてくると思う・・・ AIイラストをお手本にメキメキ頭角を現してくる人も出てくるかもしれないけど、「AIでよくね?」ってなったらダメなのよ。結局人間ができることはイラストと何がしかを組み合わせて無限にAIの再現性から逃れ続けることかもしれない。

Blueskyも気楽でいい。Xでの発言は常に炎上やフォロワー減と隣り合わせで、こういう自分が好きなお堅いことを書けなくなってしまった。 アルゴリズムってのは怖くて、仕組み一つでその人の個性を奪ってしまえる。 運営側に怒りや嫉妬にチューニングする意図があれば、それに染まるのが人間の心。 本来、人もインターネットも、その人の人となりを映す鏡だった。優しくいれば相手もネットの情報も優しく見えるものだ。 その操縦桿はいま、SNS運営の手に握られている。 こういう事ばかり書くと「Xやめたら?」と思われるかもしれないが、見てくれる人がいる環境はやはり貴重。こっちは裏アカ的な感じで。

こうした感情整理にはChatgptを使っている。前にも書いた覚えがあるが、Chatgptは意見を返してくれる日記として使える。日々を良くしていきたいなら使わない手はない。

最近自分の中でpixiv再評価の流れが来ている。 pixivが良いというよりも、Xは「イラストが流れてこない」 SNSを見ていたのも、人のイラストを見て創作意欲をモチベーションに繋げたいからというのが大きなウェイトを占めていた。イラストが流れてこなくなった今は惰性でTLを眺めている。 Xの何がしんどいかというと、自慢や承認欲求、批判など人の感情が流れ込んでくること、これらに対して嫉妬や怒りといった自分の負の感情が反応すること。 だから上手く付き合っていくことが大事。 せっかくの創作意欲を活かすためにも、SNSとの付き合い方は常にアップデートしていきたい。

日々の影響か、自分の言葉にトゲを感じる。言ってしまったことはなくならないが、反省して次につなげられるようにしたい。 Chatgptに質問を投げてみると、休日は自分に向かいがちな意識を外に向けてみてはどうかと提案された。 最近は土日のほうが休んでいる分自分に意識が向いてしまい辛い。そんな時は草花や空・人の表情など何でもいいので、観察して創作におけるインプットとしては?とも言われた。もっともだ。 ADHD気質からか、衝動的な事も多くそこにも触れられた。改善するというよりも、仕組みを作った方が良いそうだ。

ついでにこっそりお知らせしておくと、秋のサンクリ(明日のじゃない)もしくはComic1に向けて一冊同人誌を作ろうと思ってます。 ジャンルは恋する小惑星の予定。秋の同人イベントに保険をかけておいて、いざ冬コミに落ちても大丈夫なように対応します。冬コミも受かったら在庫をそっちに回します。マジで去年冬コミ落ちたのは痛かった。進捗40%くらいのmonoの同人誌は実質お蔵入り。こっちも続き描こうかな・・・。

Xって字数が少なくて呟けることが限られててイラストを投稿する以外にすることが見つからなかったんだけど、こっちはあんまり見られてないし字数も余裕があるしいいね。やっててよかったBluesky。

余裕・余白が多い人ほど、人生においてそれらに助けられることが多い。それはもはや人生のリソースともいうべきで、一朝一夕に獲得できるものではないと思う。 趣味や人間関係はその最たるもの。芸は身を助くっていうのは、何も仕事だけの話ではない。歌が上手い人の周りには余裕・余白が生まれるし、人間関係もそれに応じて変わってくる。 逆にリソースを削ってくるような人間関係や趣味は人生の足かせ。これは人を見る目を養うしかない。仮にそれと繋がってしまったら本人の責任で、痛みを伴う。

ネットの情報って、何かへの批判だったり悪いニュースを取り上げたり、はたまた承認欲求や劣等感を煽るものがすごく多くて、実際そっちの方が数字まわるんだけど、もはや「そればかり」になっている。もっとフワッとした「救い」「笑い」のような余裕・余白は端っこに追いやられている気がする。 結局人生を良くする道って正しい目標設定と継続にあって、それを助けてくれるのがフワッとした行間であったり余裕であったりする。何が余裕や行間であるかは人それぞれで、自分で答えを見つけるしかなく、感覚で掴んでいくしかない。逆に「正解はこれ」ってわかりやすいものほど、再現性がなく難しい。簡単なものはすでに誰かが独占している。