これはこの作品に限った話ではないが、物語のテーマが、しょっちゅう自分でも考えている命題であったり調べている思想・信仰であった場合、全く刺さらない…みたいなことがたまに起こる 物語の最後のメッセージに対し「知ってたけど…」や「私でもそうする」になっちゃうと平凡だと感じてしまうのかもしれない でもそれを逆手に取ってキャラが意外な選択をする…っていうのは面白いよね あー怖い怖い
『イン・ザ・メガチャーチ』もこの前読んだ こわいな〜っておもいました。 読み終わって考えると、複数登場するキャラクターと価値観が悉く合わなかったようで、共感よりも関心や興味で読んでしまったために語りの文の長さと憂鬱に疲れてしまったのかもしれない これはたぶん、共感して読むと刺さるやつだったかもしれない
『目が』読んだ 作品のコンセプト上、話を小さくまとめることに意識がいってる印象があり、この本自体が持つからくり(恐怖)が作者の努力と苦労そのものを露出させてしまっているなと思いました 贅沢を言うならもっと読みたかった
多分私は漫画家に憧れすぎて神様だと思っていた 私が描いてるものはよくて「マンガ」、せいぜい「まんが」なので、誤字でない限りは従来から今後とも「まんが」と表記したい
学生の頃、お世話になっていた人に「どこからが漫画家なのか」と聞いたら「漫画だけで生活していたら漫画家なんじゃないか」との返答をいただき、当時は腹落ちして今に至るが、今なお自分が漫画家を名乗ることに恥ずかしさに似た烏滸がましさを感じるのだ
フロムゲーでもモンハンでも、面倒くさがりすぎて初期武器、装備でそれを強化しまくることで挑み続け、結果もっとレアな武器を手にした時自分のピカピカの初期ソードが雑魚だったことに気付くんだよ でもそこまでいったらもう武器を持ち替えるのが悔しくて縛りプレイに移行するんだ
ゲームやってて、筋肉ビルド一択で攻撃力の数値の足し算掛け算しか見てないため、なんのゲームやっててもスキルとかの組み合わせで頭使って火力出してる人に火力で負けるんだ レイダースでいまそれを感じ始めていて怖いよ
本屋に行くと、インターネッツを見ると、都会に行くと膨大な量のコンテンツに圧倒されて、こんなにあるしわざわざ私が何か作っても意味がないなと 価値が相対的に目減りする一方だなと 思う日々
すこ〜しずつvisageをプレイしてるんですが、本当に怖い こんなに怖いゲームはじめて 毎回操作方法忘れて、物を持っちゃった時落とし方がわからず持った状態で家の中うろうろしてる
でもそうするとさ、そういうのは読みたくないんだ云々、作家の魂から滲み出た表現が云々とか出てくるんじゃない だからどうでもいいんだよね どっちの意見が自分向きかって話だと思
「好きにかければ売れなくてもいい」は私も思ってた気がするが、これはダメだったら死ねばいいやの裏返しであったし 新人作家のもがきが冷笑される時代なら私は「世間の望むもの描いて売れたい」に方針転換しようと思う 逆張りの王なので
インターネットにいる自らのアカウントそのものが、社会に馴染めない自らの尊大な羞恥心を年々貯金し続けた“澱箱”としてイメージが固着しつつあり、そしてこれは変化を嫌うため、自分の中に重りや自尊心として在り続けており、不愉快
勝手に忙しくまんが描きすぎてここしばらくなんの娯楽も摂取できてない 映画見たいの多すぎるのに2時間ちょっとを映画に捧げるよりその時間でまんが描いてたい 時間って有限すぎないか
紙が売れなくなってきてる情報よりも、身近な人が「最近全部電子で買っちゃってる」と話すのを聞くほうが一層つらい 終わりゆく業界でなんとか生きながらえているな…という気分になり、憂鬱
AKIRAの最終話の最後の方の背景ページが「時間がなくて15分で描いた」といったポストが忘れられない 失礼かもしれないが、本当に本当に信じられない 憧れる…