Yuuri Tayama │ たやまゆうり
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○artwork / objects, paintings, essay ○research / cognition, sense 湖を翔ける瑠璃色の風が、眠れぬ白鳥の空を鳴らした。 🦢 note.yuuritayama.com
厳しい暑さがおわったのでベランダで過ごす時間を増やしている。プランターに占有されていてそんなにくつろげないけど、植物見ながら風を浴びていると心地よい。
8/17~8/22頃は立秋の末候「蒙霧升降 (ふかききりまとう)」。 深い霧が立ち込める頃です。 早朝、前日に雨が降るなどで空気が湿っていると、山や水辺では白い霧が立ち込めることがあります。 朝晩は少しずつひんやりした空気も感じられるようになってきますね。
自分のやりたいことはまだ名前がついていないものたちだったのだと納得する今日この頃。名前がついていないものを発見するのは難しいな。どういう訓練が必要だったのかまだ言語化できていない。でもたしかに「在る」。そして名前を付けた途端に他者にも伝達可能なところに落とせる。クリプキが言ってたのはこれなんだな。
インスタントなインプットばかりやっていると資源が足りなくなっていく感覚あるな。「何の役にも立たな(くてい)い」=趣味、の必要性みたいなところにつながる感じする
ベランダで作業した一瞬の隙をついてアシナガバチさんが部屋に侵入してしまい、出ていってもらうのに大変苦労するなどした。
これまでもわたしなりの人生における『余白』の重要性というものを綴ってきたのだけれど、ずいぶん整理されてきた感覚があるのでひとまず定義してみた。一般化したので使いやすくなるはず。 note.yuuritayama.com/yohaku-defin...
『余白』の定義 v1.0
「余白が必要だ」と言い続けてきたが、余白とは何なのか。感覚だけで使ってきた言葉に、形式定義を与えた。余白とは、外にも内にも、解釈が沈黙している時間のこと。情報がないことではなく、起きていることも前提としない。2026年8月時点の理解のスナップショット、v1.0。
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8/12~8/16頃は立秋の次候「寒蝉鳴 (ひぐらしなく)」 。 ヒグラシが鳴き始める頃です。 朝夕に「カナカナカナ」とヒグラシの鳴き声が聞こえると、夏が終わりに向かっているを感じますね。 多くのセミは季語で言うと夏ですが、ヒグラシは秋なんだそうです。
金曜の朝起きようとしたら回転性めまいにおそわれなんじゃこりゃと思っていたけどエプリー法やったら治った。よかったわ。内耳にある耳石が剥がれて半規管に流れ込んでいたらしい。 ChatGPTと人間のハードウェアはアナログすぎるし脳は継ぎ足し継ぎ足しのレガシーシステムだわって盛り上がった一方で複数の感覚入力を並列処理して時間差を補正しながら統合している超高性能コンピューティングシステムすぎるなとしみじみ
生存戦略でオフラインにしてきた感覚は、心地よいを拾うことも同時に退ける。無意識が安心できる空間への接続、そして身体がよろこぶ体験。増やしていきたいね。 note.yuuritayama.com/e20260808-bo...
身体の所有権
「好きなことがわからない」は探し方の問題ではないのかもしれない。消えた遊び場、評価の視線、閉じていく感覚——身体の所有権はいつ、どこへ移ったのか。木登りとラバーハンド錯覚から考える。
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最近めまぐるしい速さで思考がアップデートされるから、ひとつ成果物を作っても、というか月っている間にははもう古い情報になってしまってちょっと困る。実装スピードをめちゃくちゃあげるか、ひとまずここまでと区切ってやるか、うまくやらないとな。
8/7~8/11頃は立秋の初候「涼風至 (すずかぜいたる)」 。 夏の暑い風が秋の涼し気な風に変わり始める頃です。 残暑は厳しいですが、少しずつ季節は移ろいます。 空の色や雲の形がほんのり秋めいてきましたね。 そろそろ秋の虫の声が聞こえ始めるかも。
二十四節気は「立秋」を迎えました。 まだまだ暑さ真っ盛りですが、暦の上では秋。 朝夕の風が若干涼やかになってきたり、陽ざしの色が変わってきたのを感じますね。 季節の変わり目、夏の疲れが出てきやすい時期です。 ゆったり休息する時間をとってご自愛くださいませ。
RPに記載されている内容は、まさにlow-shared-TCZの強化で、他者を排斥するための運用だなと思う。言葉は平和のために使っていきたいよね。 note.yuuritayama.com/e20260519-pe...
世界の平和を願う人へ——願いを構造に変える数理
平和を願う人は世界中にたくさんいるのに、なぜ戦争や差別はなくならないのか。認知科学者・苫米地英人博士の認知戦論文を手がかりに、わたしたち個人が取れる構造的な行動を考えます。
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哲学者の朱喜哲さんの新刊を読んでいます。 「哲学は唯一の真理を証明するためではなく、たくさんの人がそれぞれの言葉を話して会話を続けるためにあるべきだ」という話から始まった…と思います。 分断の時代において必要なのは「それぞれが信じる正義をぶつけ合って争う」ことではなく、「異なるどうしで、会話し続けて変化しあい続ける」ことだから、という意味だろうと思います。