のらてつ

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オリジナリティのあるものを書くには、自分に正直であることのほか、他にありふれていないことを知っている必要がある。つまり周りを見る必要がある。(オリジナリティのあるものを書かなければいけないわけではない。)

今日は午後の精神状態が激烈に悪かったけど今は治った。なんでそんなに悪かったのかよくわからない。なんで治ったのかもよくわからない。

Noratetsu Houseの上部に設置している検索システム、日本語だと全然まともに機能していないかもしれない。単純な形式に変えたほうがいいな…。

テレビを見ていて時々思うけれども、「バランスを取るということが賢明だ」とあまりにも強く思いすぎていると、馬鹿の一つ覚え的に二極の中間を取りたがる、前提に対してそもそもを論じたがるということが発生して(当人に馬鹿の一つ覚え的自覚はない)、結果として絶対的に重要なものというのを軽視することになって「人類の敵」としてボコボコに叩かれ炎上するに至ったりすることがあり、「賢明な選択」的なものに妙にこだわるのはそれはそれで偏っているというか浮世離れするのでそういう自分の傾向をも含めて俯瞰して考えたほうがいいでしょうね。

若い人の精神的な弱々しさ(怒られると深く傷つくなど)について上の世代は呆れて苛々して、自分たちのタフさが如何に真っ当なものかを日々確信していると思うけれど、その感覚って更に上の世代の(下の世代から見たら極めて理不尽な時代の)人々が今の世代に対して抱いていたものとそう違わないのではとちょっと思う。

明らかに「病気」ではないが自分特有っぽい困った体質的なものについて、かなりの部分をこれまで生成AIに尋ねて解決できた(おそらくそうであろうと納得できる説明を得た)。そうに違いないと鵜呑みにするわけではないけど、人体の仕組み上これがこうなるとこうなるのでそれかもしれませんという話を見て「ああっ…なるほど…!」とは思えた。

おもしろかった! "著者の文脈は「読み直せばいい」としても、その時の自分の文脈はもう取り戻せない。やはり最低限思い出せる程度にちゃんと書くべきである。" のとこ、確かに…て思いました。自分の読書ノート、本の文章の引用を書いた後に自分の感想をちょこちょこっと書いたりするんだけど、めちゃ大事な作業だったかも。今まで無意識にやってたけどこれからは意識的にやろう noratetsu.pages.dev/p/2026080213...

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そういえばあまりにもガリガリ書きまくっていたのでペンだこがガチガチになり、それが剥けてきました。(ちゃんと下に皮ができているので痛くはないです)

ちょっと体調の問題もあったかも。鎮痛剤飲んでて頭脳労働には向いていないコンディションだった感がある。(※心配は無用です)

だいたい内容が見えているものをちゃちゃっと書いて軽やかに2日目を越えようと思ったのに、とんでもない重労働みたいな書き物になってしまった…。実際できた文章は「ちょっと長め」ではあっても別にたいしたものじゃないのに…。

他人の文章は「こんなイメージ」と言えるが、自分自身はどうか。全体の構図などは考えず、たまたま目に入ったものを鉛筆でガサガサ描いていき、結果的にそれっぽい陰影ができている、みたいな感じかしら。自分の主観では。

Tak.さんの文章のつくり方は文章を書いているというより絵を描いているみたいですね。新たに色置いてみたらその一筆によって全体の印象が変わったので違う絵になっていく、というような。

人間が考えながら書く文章は「もじゃっとしている」ものだろう。順序を練って理路を整えたとしても、「もじゃもじゃ」が「もじゃっ…」になるくらいのもので、多少はもじゃっとしている。世界のほうが元来もじゃもじゃなのだから、そうなっていない語りというのはAI製でも人間の手によるものでも現実世界とは異なるより単純な世界の法則に沿ったものであり、私たちにとっての真実が削ぎ落とされている。私たちが「もじゃっ…」の部分から感じ取れる情報がカットされていることで、結局自分が生きている実世界の話に変換する仕事を別途自分の脳がやらなくてはならなくなり、疲労感と虚無感にぐったりすることになる。

アウトライナーを使っていて、自分のノートとして納得感があって触るのが楽しい場合と、いまいち楽しくない場合とがある。まだその境界がわからない。