舞狂小鬼

@okirakuk.bsky.social

まいくる・こおにと読みます。本の話が多いです。アイコンは鳳来寺山・鳳来寺の狛犬です。 更新が滞ってますが、一応読書blogもやってます。http://okirakukatuji.blog129.fc2.com

モスラの歌は大学生の時に映画でザ・ピーナッツが歌っているのを観て耳から一生懸命憶えたのだ。 でもいま調べたら歌詞がネットにあがっているではないか。ところどころ間違えて憶えていたので、正しい方をアップします。 モスラヤ モスラ ドゥンガン カサクヤン インドゥムウ ルスト ウィラードア ハンバ ハンバムヤン ランダバン ウンラダン トゥンジュカンラーカサクヤーンム

週末になるとだいぶヘタっているけど、あとちょっとだからがんばるのだ。 世界平和を祈って頭の中でモスラの歌を歌っているのだ。

あ、もう一つ思いついた。もしも日の丸を燃やして裁判になったとしたら、報道などを通じて国旗を大切に思う国民の感情が傷つけられるわけだから、法律の保護法益として維新の会などが説明していた「国旗を大切に思う国民感情」が法律のせいで損なわれるという事態になりはしないか。 非弁行為になるから法的な判断は俺は出来ないけど、ぜひそんなことになったら最高裁まで争ってほしい。そいてどんどん報道されて欲しい。「法律にむしゃくしゃして日の丸を燃やした」と。

まあどうしても旗を燃やしたくなったら、無難なのは自由民⚪︎党や日本維⚪︎の会の旗を自費で作って、それを燃やすことなんじゃないだろうか。

ちょっと思考実験をしてみよう。 一人の男がいたとする。彼は特に政治的な信条もなく、これまでぼんやりと生きてきた。君が代や日の丸にも特に思い入れは無く、嫌いでもなかった。 ある日、国旗を故意に破損させると罪になるという法律が作られた。男はそれを聞いて無性に腹が立ち、初めて日の丸を燃やし破り捨てたいと思った。 彼がそれを実行に移して罪に問われたとしたら、そして法律さえなければ彼がそのような行為に至ることは無かったとしたら、悪いのは彼なのだろうか。それとも彼をそのような行為へと至らしめた国会議員なのだろうか。

推理は古めの カーがいい SFは国書の レムでいい 怪奇は旧仮名 鏡花がいい エッセイはぼんやり 読めりゃいい しみじみ読めば しみじみと 重い本だけが 残ってく 手首がポキリと 痛めたら 欲しくなるのさ 書見台 たまの休みに夜更かしさせてヨ 愛しあの本でヨ 寝落ちする ダンチョネ

20年近く前だけど、出張のついでに、靖国⚪︎社というところがどんなところか見てやろうと思ったときのこと。 神社には寄付してくれた人や企業の名前をよく掲示してあるじゃない。どんなところが寄付してるのかなー、と興味本位で見ていたところ、出版社では新潮社と小学館だけ目についた。その時は「なんだかなー」というぐらいだったけど、昨今、人権問題を繰り返し起こしている様子を見るにつけ、あー、と思ってしまう。カルト宗教と蜜月で人権無視の政策ばかりだしている政党と同じだなーと。今にして思えばつながるものはあったんだよな…

物理的な本の処分はほんとうに悩ましい。『積読の流儀』で中野善夫さんが書かれていた"自炊"はたしかに一つの解決策ではあるのだろう。

紀田順一郎『蔵書一代』を読みはじめた。冒頭から涙無くしては読めない。ページをめくりながら将来自分にも訪れるだろう「永訣の朝」を考えていた。

こと社会に関しては、「自分がしてもらって嬉しいことを人にも施せ」より、「自分がしてほしくない事を他人にするな」の方が上手くいくじゃないかと思うん。

たとえ心の中でどんな事を思っていたとしても、言葉に出したり行動を移さなければ自由であるというのは法治国家の根本。 社会は上から与えられるものではなく人が作るものだから、同性婚でもなんでも気にせずどんどんやって、社会通念が変われば制度も変わらざるを得ないと思う。

同性婚や夫婦別姓や皇室の話なんかで、自分と価値観の違う人を見るとやたら腹を立ててあれこれ攻撃する人がいる。価値観の違う人たちよりも、価値観の違う人たちを排斥する人たちの方が、よほど社会に害悪をもたらしていると思う。

A・M・バレイジ/植草昌実訳『誰かがいる部屋』(新紀元社)読了。副題は「A.M.バレイジ怪談傑作集」。最後の一篇を除き20ページ程度の短いゴーストストーリーが十三篇収録されていて、古き良きゴーストストーリーが味わえる。ひとことで言えば「スタンダード」。変な外連味を付け足したりせず、まさしく「こういうのが読みたかった」というやつだ。要するに著者の作風が自分の趣味に合うということだろう。特に気に入ったのは「間違った駅」「ブローディーン荘」「一夜かぎり」「遊び友達」といったあたりか。誰も悪くない幽霊物語はとても好いと思う。

学校の勉強はすぐに役に立たないこともあるけど、積読と同じで知識を得たという経験が大事な気がする。なんなら40年経ってから例えば「いい国作ろう鎌倉幕府」で大喜利作ったりすることもある。

新しい経験や知識を得て、脳の中が組み替えられるような感覚を覚えるのを「勉強」だとするなら、おれは勉強大好きだし、なんなら一生続けていける。というか勉強しないと生きていけない。フォロイーさんにもきっとそういう人多いんじゃないかと思う。なんて言うだろうね。知識欲というか、好奇心というか。