ウリッコとかストチルとか、現代にもトーヨコ周辺を描くものが多いわけで、そういうのをより真剣に観るためには宮台みたいなブルセラ社会学っぽい感じでせめて90年代以降くらいは知っておくべきだし、表象や批評の問題点くらいは自分の中で整理しておきたいよなぁ……
ラブ&ポップ観た。あんまり覚えてないけど宮台とかが90年代の女子高生は軽やかに援助交際をして時代を乗りこなしていた!みたいなことを言ってた気がするけど、これとかフリクリとか観るとむしろ閉塞感の部分ばかり強調されてる感じがしてしまう。実際の空気感がどうだったのかとか、そういう論調に対抗するために表象が変わったのかとか、色々考えられるけど、どうなんだろう。
Webライター、Twitterの感想より読まれないことすらあるし、noteより字数と画像に制限があるけど、「上伊那3話がシャフトオマージュ」みたいな見れば誰でも思うことを書くとWikipediaのソースにできるらしくその点でインターネットの知に貢献している感じはある
なろう発で数千万部売れてる三木なずな先生が、売れるものを書く流行ってるものを書く稼げるものを書く自分は面白いと思っていないと明言していて、ここまで言っていると通常の美学は通じないよなと常々思っている(結局作者はいるから意図はあるし、キッチュとかを掘れば全然通じそうではあるが)
『超かぐや姫』が流行ったタイミングで「『超かぐや姫』は商業的な意図が強いから価値がない」って主張している人がいて ①この価値とは何か(経済的価値・受容価値・成功価値・個人的な体験の価値) ②商業的な意図が強いとその価値は損なわれるか ③商業的な意図の強さは把握できるか ④その意図は作品のみから把握すべきか ⑤全ての商業的な意図の強い作品は価値がないか ⑥『超かぐや姫』は特に商業的な意図が強いと読み取れるか ⑦商業的意図を持った作品が商業的成功を収めたとき批判可能か(批判自体が価値の設定にエラーがないか) など色んな議題が読み取れそうで面白かった(元の主張はガバすぎるが)
ちいかわ、「ちいかわ」がキャラクター名なの漫画だと名前呼ばれないし全然知らなかった。「なんかちいさくてかわいいやつ」だから、「たまごっち」とか「すみっコ」的な総称だと思ってた
冨樫の『レベルE』を読んでるけど、これ内容的にも年代的にも『ブギーポップは笑わない』と明らかに接続しそうな気がするのに全然言われてないな……普通の中高生が普通の中高生のまま理外の生物や脅威に対峙・接近・目撃し、日常自体は守られて進み続け、全貌を知ることはなく終わるやつ