ストラングル・成田

@stranglenarita.bsky.social

本日のほんわか塾は、トルーマン・カポーティの短編「ミリアム」。「銀仮面」のような話を少女でやったところが眼を引く、くらいの印象だったが、各自の発表で作品の巧妙さへの認識が深まった。最後の若島先生の作品解釈には吃驚。色々、腑に落ちる。『遠い声 遠い部屋』のエコーの説明にも感嘆した。

Bild

本日のほんわか塾は、シンシア・オジック「ショール」ポーランドの収容所のローザと幼娘の運命を迫真の筆で描く。声の消失こそが命の鍵であると考えると、最後のショールの象徴性が際立つ。その30数年後の続編「ローザ」では鬱憤を晴らすように、彼女は語り倒す。こちらも地獄だが、辛辣なユーモアに少し生きた心地がする。

Bild

本日のほんわか塾は、イーディス・ウォートン「Mrs.Manstey’s View」(翻訳はないようだ) 窓からの眺めを生きる糧にしている老女の繊細な感覚が素晴らしいだけに、社会との軋轢による悲劇が痛ましい。若島先生が一番好きな米国の小説はウォートン『無垢の時代』だと言われていた。これは読まねば。

本日のほんわか塾は、シオドア・スタージョン「海を失った男」。当番の一人。緊張して、声が上ずってしまった。英文で読んだときは、内容をあまり把握できず、若島先生の翻訳と『乱視読者のSF講義』で理解が進む。独特の語りの形式と精緻な構成で、壮大な物語が浮かび上がる。スタージョン50年代の最高の達成と思われる。

BildBild

本日のほんわか塾は、ジェイムス・ティプトリー・ジュニア「エイン博士の最後の飛行」改めて読んで、凄い作品だな、と。叙述トリックめいた仕掛けに、一行一行揺るがせにしない緊張感。若島先生のラスト部分の解釈が作品のスケールをさらに広げ大いに腑に落ちるものだったので訳文は見直しが必要かも。

Bild

短編の原題は、「Adam and Eve and Pinch Me」邦題では最後のPinch Meが外されている。若島先生もしばらくタイトルの意味が分からなかったそうだが、ルース・レンデルの長編に同様のタイトルがあり(未訳)、それを読んで理解に至ったそう。英国の謎かけ童謡が元ネタだそうで、詳しくは『乱視読者の英米短篇講義』に。

本日のほんわか塾は、A.E.コッパード「アダムとイヴ」(『怪奇小説家傑作集3』のこの邦題は問題あり)最初に英文で読んだときは?? 翻訳を読み、発表者の精緻な読み解きにより理解が深まった。ちょっとした話なのに、幻想論、時間論、フィクション論が詰まっているような構えの大きさに魅せられる。

Bild

本日のほんわか塾で読んだ短編は、ウィリアム・トレヴァーの「ローズは泣いた」(翻訳は短編集『密会』に収録)アイルランド出身の短編の名手。平凡な男女の不倫話のはずが、結末で、カメラがみるみる後ろに引いて、普通の人々の生の営みの苦しさ、悲しさを普遍化してしまうような畳みかけが凄かった。

Bild

ポール・セロー『鉄道大バザール』は、日本を含む旅行記だが、日本の列車で、江戸川乱歩の英訳短編集を読む場面があって驚いた記憶がある。北大でクラーク博士が聖人のように慕われているのを、アマーストの百姓大学の学長クラック(ひび割れ)博士とは笑わせる、とか手厳しく書いていたはず。

本日の「ほんわか塾」は、ポール・セロー「A Little Flame」大使館勤めの若い男のところに、最近中国人妻を亡くした老いた男がやって来て、妻の話を始める。不倫疑惑に始まり、男同士の共感で終わる、いい話。と悦に入ってたら講義を聴いて蒼ざめた。確かにそう読むのが、正しいようだ。思い込み危険。

本日のほんわか塾はボルヘスの「シェイクスピアの記憶」。ドイツのシェイクスピア学者がシェイクスピアの記憶をもっている男から記憶を譲り受ける。研究者として次々と発見もあったが、本来の自分の記憶が次第に追いやられ…。個人のもののようであり、そうともいえない。記憶の不思議に思いを馳せる。

本日のほんわか塾は、イタロ・カルヴィーノ「ある近視男の冒険」(『むずかしい愛』収録) 若島先生の最初の著書『乱視読者の冒険』のタイトルは、この短編ともう一つの作品からつけた由。「眼鏡」という小道具で世界と自分のズレをエレガントに描き出し、様々な思考に誘うという趣旨の説明に大変納得。

本日のほんわか塾はジョルジュ・ペレック「冬の旅」。文学研究者が偶然手にした本にはランボーやマラルメら詩人の詩句の断片が散りばめられていた。ただし、この本の出版は詩人たちの作品発表以前のこと。奇想に基づく偽文学史物で楽しめるが、発表者の発言から深読みできる多層の構造をもっていることを知らされた。

本日の「ほんわか塾」はラヴクラフト「アウトサイダー」。人と接触しないで育った男が外世界に触れて己のことを知る。ポーの小説の影響が強い初期作ながら、オイディプス的収束 (〇〇が犯人)をみせる話でもあり興味深い。最後に若島先生が自分にとってきつい話と言われたのには思わず笑ってしまった。