古い作家は奇形とか欠損障害とか皮膚病とかを多分生活の中で普通に目にしてたからそう言ったものを創作物に入れ込むのをかなり自然な形でやってのけるし、やっぱりそこまで含めてこその人間社会だという気もするから嘘が無いその感じには見習うべきところがある。
中野は明らかにサブ新宿化に舵切ってて地価上昇と再開発でジェントリフィケーションが起きてブロードウェイが死に絶えてもいいと思ってそうだし、高円寺も同時に地価上昇してるから安いテナントが減って徐々に若者がたむろ出来るような安い街じゃなくなってるし多分あと10年もしたら結構変わっちゃう気がして哀しい。 西武新宿沿線が新たに文化的受け皿になったりするんだろうか。丸の内沿線はなんかダメそうだし。
勘違いしてたけどホラー演出は開発に近いのかもしれない、、リファレンスでどうこうするというより軸を決めてそれを長期的なシステムとして加工する試みが都度要る感。
散歩中面白い苗字見つけたらつい検索しちゃうんだけど、近所に生明と宇多田があって相当すごいなと思ったら遂に苗字検索にかからない霧久って苗字を見つけて激アツだった。
デカいカタストロフをミクロな出来事のフリにするっていうのが何か気持ちいいし好きな感覚かもしれない。 世界系は世界と個人を対比させるけど、対比すらさせず寧ろ世界を大して描かないことに意味がある感。
ジャン観た。 細かい言及は避けるけど原作が昨今珍しいアクの強いアッパー系だから普通作為的過ぎて避けるようなプランも沢山使えそうで良いなと思った。普段アニメあんまり観ないから気が付かなかったけどいつも使えそうでいて中々使えないと諦めてたアイデア群はジャンとかバキとかジョジョみたいな作品のためにあるんだなと思った。
攻殻観た。 世界観方向の演出に重きを置いてる感じだった。やっぱりキャラクターも多くて世界観と出来事に埋め尽くされてるとかなり難易度が高いんだろうなと観てて感じた。
物理空間が存在した状態から演出を構築するのと、存在しない状態から描写して初めて現象を浮き立たせるのとで全然違うという当たり前の事をジャードゥーガルとララを観て思った。 本来後者の方がアニメには向いてるけど、物語に蓋然性とか偶発性を与える為には前者の性質を利用するしかなくてそっち方面の演出を掘り下げすぎてたけどやっぱりアニメらしいアニメっていいなと思った。 世界の解像度を高めてから物語を映像化するのは上手く行けば凄いものを作れるけど知識と考証が大変で作家を寡作化するし、設定が煩雑化して物語の軸を見失いやすくなるから必要な事象周辺から最低限の要素を拾い集めて繋いでいくのがやっぱり正攻法。
タイムラインと音楽のアイデアメモをサムネイルにして描き添えておく方法が情報的に抜け落ちが多くて上手くいってないとずっと思ってたんだけどそれを保存しておける方式というか分類の仕方を整理できた。