現在、かなり広く「インターネットの使い方」は開かれているが、以前独占されているのがトラフィック。すべての企業はこのトラフィックを握るためになんでもやっている状態だが、逆に言えばもはやインターネットというレイヤーでなんらか勝ち筋を撮ることができるのはトラフィックを握ることだけで、このレイヤーで色々な人種がカオスを形作っているし、次の世代ではこの分野にいた人間のドラマが開示されるであろう。
企業に専有されていた行為が一般個人に開かれることを民主化と表現する。印刷が民主化されて同人出版がはじまり、とらのあなやメロンブックスが流通を民主化した(これはコミケの建前と相反する振る舞いで、古いオタクにはアンチとら・メロブも多い。なし崩し、ある種の脱法である)。レコードプレスが民主化されてインディーズが始まり、流通が民主化されて渋谷系とメロコアのブームが起きた。ここらへんまでは情報を作成すること、流通させることの物理レイヤーの民主化で、インターネットが作成・流通の門をさらに大きく開いた。が、インターネットはWebアプリケーションを経て再び閉じ、AIによって再民主化された、という見え方もある。
よく「平成ってヤバい」とかネタみたいに扱われているが、10年や20年も経過すると人間の認知ってガラリと変わるもので、よく例に出すのが「キチガイ」なんて私が子供の頃は口にしただけでキツめに叱られた言葉である。スマートドラッグも明確に「ドラッグ」の枠に入っていたけど今では健康サプリ。そういう変化はじっくりと確かに起きていくもので、だから10年や20年後には自国を侮辱するなんてありえない不謹慎なことになっていて、外国人とはムチャクチャ険悪になっているかもしれない。
『脱法』で話さなかったこと。facebook papersや『ソーシャル・ジレンマ』が明らかにしているように現在のWebは脳科学を参照してユーザの依存性を高めるよう仕様変更を繰り返している。ハッカーが脱法ドラッグを作っていたのは裏社会の前史であるだけでなく、Webの前史と捉えることもできる(「脱法ドラッグ販売にSEO業者が関与していた、は重要発言)。 脱法ドラッグはレゲエやレイヴのような文化を残さなかったが、そもそも現在の社会はことごとく依存に溢れていて、もはや「しらふ」が存在しない。逸脱のための文化は必要なくインターネット・ヤメロと唱えながらヤニネコにチルを感じるのが現代である。
ハッカーカルチャーと時代の流れを肴に文化めいた話ができるかな〜、と思った、し、実際できると思う。思うけど、圧倒的なアンダーグラウンドを前に「したところでなんだ?」と思ってしまいましたね。すなおに倫理観が勝った。
悪趣味と鬼畜は何が違うのか、というと難しいのだけども悪趣味はウォッチ、鬼畜は関与と分けられる気がする。ネットウォッチというカルチャーは悪趣味の延長だが、そこには「ウォッチ対象に関わらない、見られていることも知られてはならない」というルールがあった。鬼畜は対象に関与して、よりおもしろい=対象にとっては悪い状況へ誘導する、だろうか。
転売ヤーとせどりの何が違うのか。せどりは市場価格より安く売られているものを入手する行為だが、いわゆる転売ヤーは市場に出回る数の限られた商品を複数人で寡占するカルテルに近い。これは情報の収集、人足の収集が即時にできることで初めて可能になったことで、明らかにインターネット以降のもの。方法だけ見ると、これを発展させるとトクリュウに繋がりそう、と見てとれる。
金融の言葉にアービトラージというものがあり、要するに転売なのだが、転売は情報処理の速度で生まれるもの。カルチャーで言えば古くは阿木譲や東京ロッカーズは欧米の情報にアクセスできる人々による日本への転売。90年代の現代思想もその一種と言える。この情報アビトラがインターネットによって民主化された結果の一端が磯部涼『脱法』で描かれる顛末である。
冷笑の原型とされる(あまり同意できないが)悪趣味は視点を変えることによるおもしろさの発見なのである。「アブない薬」はドラッグをデータ主義で網羅したと言われる書籍だが、医学辞典を「アブない」というラベルで切り取ったと言い換えることもできる。「このように見ることもできる」を転用すると盛り上がりに冷や水を浴びせる冷笑になるし、つまらない・くだらないものをおもしろくパッケージできるし、見えないものが見える、という方法・技術である。
インターネットについて論じられたものが好きなんだけど、いつからかインターネットを追うこととビジネスを追うことが一致し始めて、それ以来こう、なんか理解は容易だし楽しさもある半目これじゃないんだよなーというピュアでない気持ちがある。
地震が起きると落ちるくらい、というのはTwitterのインフラが適度にコストカットされている証左であり、イーロン・マスクは経営者として有能で、Twitterはなぜか無料で使えていたスモールインターネットから営利企業の運営するサービスに変わったということでもある。
AIはもう人間よりも賢いと思う。そもそも昨日の夕飯も思い出せない俺がAIより賢いわけがない。 それはそれとして、人間が猿より賢くても猿の群れのボスにもメンバーになれないように、AIも自分よりアホな人間の上位存在にも代替にもなれない。そもそも賢さがすべてをインクルードするならシリコンバレーのアホが有名大卒を揃えたレガシー大企業に成り変わる階級転換が起きないわけで。賢さは社会の上部構造にあるわけではない。 だからシンギュラリティとはAIの性能ではなくAIの欲望、AIの営みが生まれることを指すのでは無いかな。そして人間の営みが環境を滅ぼすようにAIの営みが人間を滅ぼす創造はできますね。
wirelesswire.jp/2026/06/93872/ よいギュられ記事。ユニバーサル・ベーシックインカムに意味はなくAIに重税を課すしかないのはおもしろい話である。環境に悪いかわりに安い、みたいなことすると重罪がかかるのでエコするしかなくなる環境税に似ている。 となるとAIは情報空間の環境汚染なのかもしれない。しかし現在のAIはどう見てもスタートアップと投資界隈によって廉価提供されているわけで安さもあやしい。物理社会でも情報社会でも資本主義の仕組みが環境を汚染する。 物理の環境汚染で滅びるのは動植物だけど情報の環境汚染では人間の営みが滅びそう、というレイヤー構造はSFっぽい。
Work Is a Four-Letter Word
「AIは人間の雇用を奪うか?」と聞かれれば、そりゃ奪うに決まってるだろうと思うわけですが、今年度に入り、いろい…
wirelesswire.jp