モーノ&レスぽんす

@monoless.bsky.social

その変質者情報は私ではありません。

やっぱり美大みたいな芸術の世界に身を置くと、自分より出来る人にたくさん出会って挫折したりするんかな。たぶん自分の場合は、表現の巧拙ではなく、何を表現したいかの方を重要視してしまうから、自分よりも巧い人に出会ってもそこまでダメージを感じないんだよな。どんなに巧くても、その人が自分の書きたい話を書いてくれることはありえないから。どちらかというと、自分がやりたかったアイデアの断片を先にやられてしまう方がツラい。

SNS社会における言語表現は、対象を賛美する表現と叱責する表現だけが異様に発達していると感じる。どの程度、過度な言い回しをするか、発信者の癖を見極めて受け止める必要があって、流れてきた知らない人の言葉をそのまま信用してはならないと思っている。

前にXのスペースでも話したけど、『ルックバック』が話題になった時、世間で絶賛されるほどの良さが自分には全く感じられず、恐怖すら感じたことを思いだした。「創作者で刺さらない人はいないだろ」みたいな評判だったから、「おれは創作者ではないのか……」みたいな気持ちになった。

「あなたの下ネタツイートは好きじゃない。いい人だとはわかっているだけに残念です」という突然の評価を人から下されたけど、私はむしろ自分のユーモアセンスやバランス感覚、それらを含めた人間性が好きな人間なので、そんなこと言われても揺るがないし、やめないよ~!ごめんな~!って思っちゃった。

あまりに評判がいいので、みなみかわライブ『ニヤる』の配信チケットを買って見た。最後の怪談の話、「きっとこうなるんだろうなぁ」と先を予測して聞いていたら、方向は合っているものの、さらにその上をいく大胆すぎる展開があって面白かった。

私は基本的に表現者の作品と人間性は切り離して鑑賞できるタイプなんだけど(そうでなければ、とても古典文学など読めない)、唯一の例外はその表現者が作品を通して提示するテーマの部分に深く共感していた場合。テーマとは信念であり、信念とは人間性と不可分なものだから。 ただ私は作品のテーマ自体にはさほど興味が無い場合が多く、どちらかといえば作品の構造だったり、テーマの見せ方や、どのような文脈の中で作品が作られているかという部分に強い関心があるので、作品と人間性を容易く切り離せるのだろうなとも思う。

GEZANの人の性加害謝罪ツイートが、自罰ハイというか、あえて自らの非道な行為を細部まで暴露し、誠実な告解を行って断罪を受ける自分に酔っている、ある種の恍惚感すら感じる文章なんだけど、そのナルシスティックな陶酔の中で被害者がノンバイナリーであることを軽々しく暴露してしまっているのが何より醜悪。

自分が欲しているような愛のある言葉を、都合よく他人が発してくれることはあまり無い。だから時として我々は、愛するペットやぬいぐるみを通して、そっと自分自身に優しい言葉を差し出したりするのだ。

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最近は私がおっぱいを求めているのではなく、おっぱいが私を求めているのではないかと思いはじめてきた。そうでなければ、何故タイムラインを確認するたびに大量のおっぱい画像が流れてくるのかという疑問に説明がつかない。

ガリレオ読んでたせいで、今でもミステリー小説の冒頭に「その日はとても暑く…」とか書いてあると、おっ、気温を利用したトリックか?! みたいなこと考えちゃうんよね。

職場の役員がトイレから中々出てこない。「早く!漏れる!」とイライラしていたが、一時間も経過すると「熱中症で倒れているのでは」と心配になってきた。私自身は諦めておしっこを漏らしたのでもう良いが、一度ノックして確認すべきか。などと迷っていたら、昼休みの鐘と同時に彼はトイレから出てきた。貴方の罪は重い。

外から花火の音。ベランダに出てみる。しかし見回しても花火は見えない。もう一度、よく耳をすませてみると、それは花火の音ではなく、私が自分の尻をセルフスパンキングしていた音だと気がついた。夏のぬるい夜風が熱くほてった私の尻たぶをそっと撫ぜ、ちんぽが遠い日の風鈴のように微かに揺れた。

帰宅してフジロックつけたら、サニーデイがセツナの激しいインプロやってて、「なんだもう終わりじゃん」って思ってたけど、アンコールでサマー・ソルジャー歌いはじめて、ああ夏が始まったんだなって。

日常にアウトプットのためのインプットの時間を増やしたいので、普段の会話や遊びの時間も「これをアウトプットに使うなら?」って考えるし、少しでも空き時間がある外出は本を持っていくし、まとまった時間があるならAVを見ている。でもエッチなもん見たらあっちはアウトプットしちゃうか!ガハハ!

前に買った低糖質麺のカップ麺。糖質が気になるなら、これを食うより一食抜こうって決意するくらいマズかった。もはや何も口にいれていない時の方がまだ美味い。

ずっと読みたかった現代アメリカ文学を代表する奇書、『紙葉の家』を読了。家の中に突如出現した迷宮のような巨大空間が記録された映像……に関する学術論文の草稿……が書かれた大量の紙片を発見した若者が編集した原稿……を出版社がまとめた本……を我々が読むという五重のメタ構造ホラー。三者三様に添えた虚実入り混じる大量の注釈が次第に本文を侵食し、文章が形を変え、壊れ、何が作り話でどこが発端かわからない、衒学的虚構の迷宮。でもユーモアの心もしっかりある。こういうぶっ飛んだ小説を読むと、文章の世界の自由さを感じて嬉しくなってしまう。"Backrooms"に代表されるリミナルスペースカルチャーの下地にもなった。

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エゴかもしれないけど、やっぱり家族や仲の良い人たちには長生きしてほしい。SNSにも会ったことのない相互さんはたくさんいるけど、やっぱり長生きしてほしい。そんで年取っても「もう体動かなくて草」とか呟いてほしい。

こないだ脳卒中で手術した母が今度は倒れて頭を打ったというので、慌てて実家に行った。怪我は大したことなかったけど、とりあえず病院に相談しにいったら、どうやら服用している薬の副作用で突然脱力してしまったのが原因らしい。しばらくは薬の量を調節することになった。本人は怪我したことよりも、自分の体がどんどん使い物にならなくなることに絶望しているらしくて、とりあえず父と「大丈夫だ」ということしかできなかった。それでも人生は続く。心丈夫にいてほしい。