きゅうご😇河童
@qgo.bsky.social
読んだり書いたりが好きゲームも好き映画や観劇も好きです 今日見た夢の話とかするかもしれん 成人。心は赤ちゃん、生態は妖怪河童 pixiv→ふとん カクヨム→きゅうご
神谷が核兵器をめぐる議論を「タブー視せずに」と発言した。先日の小泉進次郎もこのレトリックを使いましたが、この際ベールをはがしてやりたいと思います。 この言葉は一見、自由で冷静な議論を呼びかけているように機能します。しかし、ここで「タブー」と名指されているのは、核兵器について語ることではなく、日本の核保有を政策の選択肢にすることへの拒否です。 日本では核兵器についてすでに長年議論されています。被爆の実相、核抑止の是非、非核三原則、米国の核の傘、核軍縮、核兵器禁止条約。議論そのものが封じられてきてはいません。 議論と歴史的経験を重ねた末、「日本は核を持たない」という原則が築かれてきました。
参政 神谷代表 核兵器めぐる議論 “タブー視せずに” https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015197661000
その背景にあるのは、根拠のない禁忌ではなく、広島・長崎で実証された大量殺傷と放射線被害、被爆者の証言、非核三原則、核不拡散条約上の義務、周辺国との軍拡競争、誤警報や事故による使用の危険です。 これらを一括して「タブー」と呼ぶことは、積み重ねられてきた理由を消し、思考停止だったかのように見せる効果があります。 また、「日本は核武装すべきだ」と正面から言えば、人道的被害、外交的孤立、条約、費用、軍拡競争について説明責任を負う。しかし「議論さえ許されないのか」と言えば、核武装論者は自由な討論の擁護者となり、反対者の側を感情的な言論封殺者に見せられます。
「タブー視せず」の実質は、核兵器について考えよう、ではないです。 日本の核保有を「戦後の原則を覆す重大な転換」から、「安全保障上あり得る普通の選択肢の一つ」へ移動させよう、という議題設定の効果があります。言葉の抵抗を弱め、次に選択肢として慣らし、やがて「検討しないほうが無責任だ」と反転させるのです 被爆国としての責任は、被爆の悲惨さを式典で悼みながら、現実の安全保障では大量殺傷の能力を求めることではないと思います。核兵器が都市と市民に何をするかを知る国として、その使用も拡散も許さず、核保有国にも軍縮を迫ることだと思います。
父方の祖父は戦争で中国の北の方(詳しくはわからない)に行ったが要領の良い人で色々手を尽くしデスクワークをやっていたとかなんとか でも中国の人を殺したかもしれない 民間人を 祖父は父が12のときに亡くなったので全て藪の中だ
国旗損壊罪には 立法事実が ないけど「外国大使館襲撃罪」には 立法事実が ある……!(すごく やだ)
> 「家族や職場に大変な迷惑をかけた。事件の責任を取りたいと考えているので、自殺や逃げることはしない」 家族や職場ももちろんだろうけど、外交的な国益を深刻に損なった日本の主権者にも申し訳なさを感じてほしい。 「外国国章損壊等罪」って外国の国旗を傷つけると我が国の外交上の国益が失われる恐れがあるから、その国益を法益として保護する目的で作られた法律だけど、村田3等陸尉中国大使館を襲撃して損なったのはまさにそれだよね。必要なのは日本の国旗に対する「国旗損壊罪」なんかじゃなく「外国大使館襲撃罪」だったね。
わたしは母方の祖母が大好きで でも祖母が戦争の話をしていた記憶は少ない 夏になると向田邦子の戦争ドラマ(リメイク版?)やはだしのゲンのアニメなんかを一緒に見たりした
日本が唯一なのは「戦争被爆国」であって、核実験での被爆国はたくさんあるんですよね。 他の方の投稿で改めて意識しました。 日本でも「第五福竜丸」に代表される、戦後のビキニ環礁での被爆がありますよね。
856隻もの漁船が放射能に汚染されたマグロを水揚げしたそうです。 被爆は「第五福竜丸」だけではないのですね。 d5f.org/about
第五福竜丸とは | 都立第五福竜丸展示館 Official Site
daigofukuryu-maru
d5f.org
毎年してる話になってしまう 私の母方の祖母は被爆者でこそないが山1つ越えたところ(と祖母はよく言っていた)に疎開していた 音を聞いたという。空襲警報がやんで学校に行こうと家を出、すごい音がした 大八車で運ばれるけが人を見たとか 都内で電車に乗っているときによく「こんなところに落とされたら大変だね」と話していた 祖母が亡くなってもう何年だったか憶えていない
深夜早朝に鳴り響く英語の音声 嘉手納基地 周辺住民から苦情 沖縄【動画あり】 ryukyushimpo.jp/national/ent... “米軍は訓練開始前の7月31日の発表で、8月3日から7日まで訓練をし、模擬爆発装置や発煙装置は午後10時から午前6時までは使用しないとしていた。” “深夜から早朝にかけて基地内から英語の音声放送が流れ、住民から騒音への苦情が相次いでいる。 本紙の確認では、4日午後11時54分ごろと5日午前5時半ごろ、基地内から英語の音声放送が流れ、周囲へ響いた。” また嘘をついた
深夜早朝に鳴り響く英語の音声 嘉手納基地 周辺住民から苦情 沖縄【動画あり】
米空軍嘉手納基地で実施中の運用即応訓練を巡り、深夜から早朝にかけて基地内から英語の音声放送が流れ、住民から騒音への苦情が相次いでいる。 本紙の確認では、4日午後11時54分ごろと5日午前5時半ごろ、基地内から英語の音 […]
ryukyushimpo.jp
夕凪の街桜の国(こうの史代さんの漫画)の 10年たったけど原爆を落とした人は「やった!また一人殺せた」 と思うてくれとる? というのが忘れられない
もう言う人たちも順番に亡くなっていなくなっちゃってるけど、私の小さいころ、九州では大人たちは夏の追悼式典がテレビで放送されるたびに、長崎の代わりに小倉だったかもしれなかった、小倉だったらだれだれがきっと死んでいたとか、あの日小倉は曇りだったから、予定を変更して(航続距離が妥当で第二目標だった)長崎に行ったんだ、長崎には気の毒なことだったよ、とか、遊んでいたら長崎のきのこ雲が見えて、あれはなんだろうと言っていた、など話していた。そういう日だった。
わたしもこれを読んだ時に天皇制は絶対に終わらせないといけないと思った
序盤からやまと人たちのやばみがエグすぎてドン引きしている 無理すぎる 天皇制やめよ!?!?!?!
「現実的かつ実践的な取り組みのために、まず一旦核兵器を持つことにします!!」とか言い出しかねないとは正直思ってる 許さねえよ
ニュースで少しだけど広島の小学生代表の子がスピーチしてて被曝体験の話を聴ける「最後の世代」としてとか次の世代に伝えていく/ここで終わらせる「使命がある」ってことをはっきり言っててす…すごい…ってなった。
広島県竹原市大久野島は、「地図から消された島」として、そこで行われていることのすべてが「機密」とされた。日本軍の工場では、毒ガスの製造が進められていた。 《 「戦争遂行」という大義のため、人間を部品のように扱い、使い捨てていくサイクルが、この島にも存在したのだ。 》 d4p.world/28567/
「やらされた」「しかたがなかった」という語りの危うさ――毒ガス製造の島が問う広島の加害の歴史 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)
取材レポート カタコトと軽快なリズムを奏でながら、呉線は海沿いをゆっくりと駆ける。その車窓から見える、瀬戸内海の穏やかな水面
d4p.world
「国民皆保険制度を推進しましょう。あとやっぱパレスチナは虐殺なのでもうやめましょうよ」とか普通で穏当なことを言ってる人が「急進左派」ということなので、きっとさぞ「急進右派」もこれくらい普通で穏当なのだろうなぁ……選挙結果拒否して議事堂襲撃して戦争始めた汚職大統領とか一瞬で弾劾してくれそう(皮肉です) jp.reuters.com/world/us/N2O...
急進左派が激戦州ミシガンで勝利、米民主予備選 中間選挙の試金石
11月の米連邦上院選に向け、中西部ミシガン州で実施された民主党の上院予備選で、イスラム系の急進左派のアブドゥル・エルサイード氏が勝利した。穏健派候補のヘイリー・スティーブンス下院議員を接戦の末に破った。
jp.reuters.com
「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ」(峠三吉『原爆詩集』)
私には日本国国旗を踏みつけにする自由がある。踏みつけにしない自由もある。それを国家から強制される謂れはない。それに抗うのは、国家が他の人々を踏みつけにしろといい出したときに抗うための訓練です。
父は、自分の父が戦時中軍の運転手をしていたのを嫌って、生涯運転免許を取らなかった。祖父は運転しかしていない、人を殺していないと言ったらしいが、父はそれを信じていなかった。家族が殺人したかどうかを疑わなきゃいけなくなるの、マジで戦争とか嫌すぎる、と小学生のろきおは思った。
家でおしゃべりしてる時に、韓国籍の方の祖母が広島にあと1日ズレたらお手伝いとして行くことになっていた、というのを聞いていた。原爆の日には繰り返しされてた。そういう家庭内教育はあったほうだと思う。
資料館の一階で無料の展示をやってたのね。8月6日以降に広島でカメラを構えた人たちの話や写真が展示されていたんだけど、少なくない人が「シャッターが切れなかった、シャッターを切るのを躊躇った、散々迷って、でも記録のために撮らねばと思った」みたいなことを言っていて、胸が詰まった 報道カメラマンや従軍カメラマンなど、ある程度悲惨な現場を撮り慣れているであろう人にもそう言わしめるというのは、どんな光景だったんだろうかと思った