個人的な考えなのですが、ホラー作品における「怪異の正体明かし」の展開は正体が何であれ必ずある程度面白さが減ってしまうと感じていて、近年の作品は「正体を明かさない」や「設定を難解にして考察を誘引する」などが主流になってきている気がするんです。 それはそれで面白いのですが、もし「正体明かし」をするならば、絶対にある程度面白さが減るのでホラー以外の文脈で面白がらせる必要がある(ミステリーとして、SFとして、人間ドラマとして、伏線回収する、等)のではないかと仮説を立てています。 実はここら辺は連載当初から凄く悩んできたポイントでした。ホラー作品を作るのは難しいですね。
ちなみに、雪はヒカルを完璧に受け入れることが出来たわけではないので、ヒカルとあのまま一緒に長く暮らし続けていたらどこかに綻びが出ていました。
「光が死んだ夏」では1話(30〜40p)ごとに起承転結を考えているのですが、1話を分割して更新するスタイルなので変なところで話が切られてしまい、余計なクリフハンガーが生まれてしまうのが前から気になっています。 1話ずつまとめて読んでもらった方が話が頭に入りやすいと思うのですが…。
タイのイベントに来てくださった皆さんありがとうございました。 沢山頂いた質問が「よしきやヒカルを動物に喩えたら何か?」だったのですが、あまり考えたことなかったので象だのニホンザルだのホッキョクギツネだの、しっちゃかめっちゃかに答えてしまいました。
幸せになる=二人のキャラクターがお互いに恋に落ちて恋人になる 恋が実らなかった=永遠に不幸 このような前提で私に質問してくる方は多いですが、必ずしも全ての物語がこの前提で動いているわけではないと思います。
「光が死んだ夏」を恋愛物語ではないと言う理由の一つとして、「恋愛感情こそが最も重く深い感情で、恋愛が成就することだけが唯一の幸せである」という前提が物語の中に無いからというのもあります。 それを踏まえた上でなら広義のラブストーリーとして捉えることも可能だと思っています。
私は人間社会に紛れる人外のキャラクターが好きですが、そういったキャラは「人間がどれだけ素晴らしいか」ということを示すための舞台装置として使われがちな気がするんですよね。 それはそれで面白く好きなのですが、私はずっと人外の話が読みたかったのです。 私はこの話を「人間と人間の話」ではなく「人外と人間の話」と言いましたが、モンスターのヒカルは人間同士の関係の深さ素晴らしさを表すための媒体では無く、主体性をもった一個人として描いています。 そういった人間として、最近ではプロジェクトヘイルメアリーのオチが特に好きでした。
漫画描くならグッズはノベルティ以外作らないようにしないと、、、 8月は漫画も出すつもりだったんですけどまじで色々やりすぎ、受けすぎてヒよ本が出せなくなっちゃいました。オンリーは漫画出したい。。。
たまに鬱漫画として紹介されてる時があるんですが、私自身は悲劇を描いてるつもりは特に無かったです。 結構、前向きに進んでいく話を描いてるつもりです。
作中でヒカルを動物や子どもに例えることがありますが、実際のところヒカルはペットでも未熟な子どもでも無く、ただ人間の文化や常識が通用しないだけの存在ですね。 日本語を勉強したばかりの海外の人の日本語が日本人から見て幼く可愛く見えることがありますが、実際その人が幼く可愛いわけでは無かったりしますし。
なんだか不安がっているコメントが来るのですが、この物語が「人と人の物語」ではなく「人外(怪物)と人の物語」であることは特にブレません。(引用した過去投稿の通り)
「人と人の物語」ではなく「人外と人の物語」として描いているので生前の光は原作ではあまり描かないのですが、実のところ、「単純にあまり描くことが無い」というのも理由のひとつです。
死者の感情については、物語的に描いた方が良いと思ったら描きますし、必要ないと思ったら描きません。 割とその時の流れで決めていますので、描く場合もあるなと最近の更新分を描いていて思いました。