人が築いた仕事の仕方に乗っかって飯を食っている。なにかしら発展させることはできているのか、伝えることはできたかと思うと、ご冥福を祈ることすらおこがましい。
「ほんとうに忘れられたゼロノス試作型たちの物語」とか、あったらちょっと見てみたい イマジンに対抗してゼロノスシステムを作り始めるんだけど、誰が被験者になったのか誰も思い出せないままデータだけが積もり積もってくの
病院を出て、そこにあるはずのない線路を走る電車を我が子に見せて喜んでいる両親。それだけで、野上良太郎がどう育ったのか、ぜんぶ説明できている。かつ将来その電車に乗る運命を暗示する、劇場版電王のかんぺきなラストシーンよ
電王と出会わない世界線の「仮面ライダーゼロノス」という番組があったらそうとうしんどかったろうな。といいつつ、「仮面ライダー電王」も記憶と忘却の話なので、しっかりせつないのだが。劇場版でのダブル良太郎のやりとりとか思い出すと胸が熱くなりますぎゅっとなるでしょうが。
ゼロノスサイドから描かれた「電王」を見てみたいという気持ちはずっとあるんですよね。侑人がどんな気持ちで良太郎たちを見てたのかとかね。
仮面ライダーゼロノス=桜井侑斗というのはたいへん肝の座った人物で。未来の自分が急にやってきて、まだ出会ってもいない恋人や家族のために戦ってくれというのを引き受けてしまうんだよね。自分を裏切れない奴なんですよ、きっと小さな頃からずっと。そんな重荷を負わせた未来の侑人のたったひとつの希望が「自分が忘れられて消えてしまって、若い自分に新しい人生を歩ませること」なの。なんでそんなに覚悟決まってんの、この人。
スパイダーマンの内容にふれますが、ハリウッドのヒーロー映画はこの数年、精神世界で決着をつける病気にかかってて…今回もそうだったので、ちょっと残念ではあった。脳筋映画にみせかけたMOTUですら行っちゃいますからね、精神世界!あと、最後にマスクオフしちゃう病というのもあるよね…あれ、そう思うと理想のヒーロー映画、マンダロリアン&グローグーなのかもしれんな。精神世界にも行かないしヘルメットも取らないし!
そこそこ豊富なゲストキャラも予告編でいっさい出さなかったのは正解と思った。そのキャラが何かわかる人にはうれしいサプライズだろうし、そこまでファンでない人が「知らないキャラが続々登場する映画」と思ってしまったら足も遠のくだろうし。(なにと戦うのか全くわからんまま観に行くのもめずらしいことだったな)
スパイダーマンはアメスパがやろうとしてた青春ドラマのムードもあってうれしかった。装甲車を追うだけの地味なシチュエーションでも臨場感たっぷりの映像で、スパイダーマンになった気がしたよ。
たぶんMARVEL Xよりちょっとだけ先にPODというCD-ROMマガジンで、アメコミとは出会い直していた。これ誰が仕掛けてたんだろね。
アメリカのスパイダーマンってなんかカッコ悪い!くらい思ってたなあ(たぶんテレビで見た77年の映画のせい)。MARVEL Xでまた変わるんだけど。
世代的には東映版のスパイダーマンが最初の出会いで、彼のことを偽物やイロモノと思ったことは全くない。あらためてフルコーラスの歌詞を噛みしめてる。 www.uta-net.com/song/117729/
さかのぼったらこんなことも言ってら。なぜ甘いものを特撮プロップに例えてしまうのか。非日常性がそうさせるのか?
ZATの宇宙ステーションみたいなパフェ
だいぶ昔「くん」だか「マガ」だかの編集者の年収を聞いたことがあって、表紙の真ん中にいるキャラクターを描いた人の何倍もあってびっくりしたことがあったよね。まあそれでいいんですけど。
エンゲージ、それ! こないだおもちゃとの契約、みたいなこと書いたけどあれもエンゲージだわ(便利に使いすぎないように気をつけんとな)
村上隆の『シックスハートプリンセス』を「モチーフが仁義礼智心ってのがまずオタクのパロディ的ですよね。本家はそういう一貫したモチーフにあまりこだわらないですし、印象も硬すぎますもん」とくさしたところ、「でも『S⭐︎S』は花鳥風月だったよ?」と返され、「それは…そういうところが…」と口ごもってしまったことがある
銀水晶の力で隕石が止まったでしょ…その時アクシズも止まったんだよ…。アルティメットまどかの力が遡及的にすべての魔法少女を救済したように、うさぎちゃんの母性がシャアをも救ったのだ。そしてふたつの世界をつなぐポータルの役割を果たしたのが、古谷徹の声でしゃべる青年なのだよ…