ジャンルに関わらず「ネタバレ」が強く忌避されるようになったのとか、YouTubeの考察動画の隆盛とか、突き詰めれば「何を語るか」が重視されて、反面「どう語るか」の方のが軽視されてることの表れかもなと思いついた。 たとえば『機動戦士ガンダム』で「ジオンのコロニー落としで総人口の半数が死んだ」という「事実」を、「人類は自らの行為に恐怖した」と語るのと「ジオンの悪行」と語るのとは、ぜんぜん別だ。「事実」は同じでも、物語は同じではない。 でも人によっては「同じだ」と思っちゃう。落下するコロニーを見送るザクを見て「悪行」を見出し、それが「語られた」と「考察」する。そういう人が結構多いんじゃないか。
益田ラヂヲ
@master-radio.com
益田ラヂヲ https://master-radio.com 大阪のボードゲームサークル「シュピールプラッツ」ファウンダー(創立者)。 京都のウェブ企業でインフラエンジニアやってます。 Discordによるコミュニティ「nullAhead」はこちらから。 https://discord.gg/68Ysm8d Discord IDは𝕏と同じ「mAster_rAdio」。
俺の自己紹介はこれや! master-radio.com といっても、ただのSNSリンク(Link in Bio)でしかないので、もっと紹介っぽい感じにした方が良いのかも知れない……。 でも、サイトごとアプリとしてインストールできるし、そこからDMが送れて、こっちにもプッシュ通知が届くようにしてあるので便利には出来ていると思う。多分。
益田ラヂヲ - Master Radio
益田ラヂヲ(Master Radio)の公式プロフィール・リンク集。
master-radio.com
自己紹介用のプロフィール帳みたいなのを作らないといけないんだけど、みんな子どもの写真とか山の写真とか載せていて、超・気まずいなと思いながらyamaと剛くんの拾い物画像で一番気に入っているやつを貼って顔ファンですって一言添えて出した
SNSで「こんなやつがいてさ~」「こんなことがあってさ~」といった愚痴を見かけるたび、個人的にひっかかることがある。 そもそも、愚痴というものは主観と強い認知バイアスに根ざしており、語られる情報も断片的で公平な視点を期待できないため、判断が難しい。 さらに、センシティブな出来事をわざわざSNSに投稿するという行為自体に問題があり、愚痴として不特定多数に晒されると、まるで観測者効果のように、元の出来事が持っていた意味や価値が変わってしまう。 結果として、誰かがSNSに投稿した断片的な愚痴は、自分にとっては認知負荷を高める情報になりがち。どれだけ冗長でも良いから、もっとクドクドと説明して欲しい。
「こんなやついてさ~」「こんなことあってさ~」という個人の愚痴とレイジベイトが結果的に似すぎているというか、もともと愚痴をこぼすということ自体が、相手の興味関心を惹起して自分の感情慰撫の相手をしてもらうためのものであるわけなので、短期的にはほとんど同じようなものといっても差し支えがないのだとは思う。 他人の愚痴を聞き流すための惹句や慣用句などは多くあり、人は古くから他人の情動を受け流してきた。だからこそ、現代のSNSにおいても、受け流して取り合わないようにする姿勢を取ることについて、もっと積極的に検討しても良いのではないか。
「こんなやついてさ~」「こんなことあってさ~」という個人の愚痴とレイジベイトが結果的に似すぎているというか、もともと愚痴をこぼすということ自体が、相手の興味関心を惹起して自分の感情慰撫の相手をしてもらうためのものであるわけなので、短期的にはほとんど同じようなものといっても差し支えがないのだとは思う。 他人の愚痴を聞き流すための惹句や慣用句などは多くあり、人は古くから他人の情動を受け流してきた。だからこそ、現代のSNSにおいても、受け流して取り合わないようにする姿勢を取ることについて、もっと積極的に検討しても良いのではないか。
「ルールを守らない外国人」という物言いはいとも簡単に「迷惑をかける障害者╱高齢者╱子連れetc」という物言いに直結する。 自分たちは一度もルールを破っていない、迷惑をかけていないという認識なのかもしれないがそんなの有り得ないし、自分たちが排除するか否かジャッジする側に常にいられると錯覚している。傲慢なんだよ。
『嫌な奴とはあんまり仲良くしたくない』という気持ちを抱くこと自体は問題がないのだけど、それを動機として社会的排除に繋げようとするから酷いんだよなぁ。 そういう感情と社会的包摂というのは、明確に切り離して考えないといけないのだけど、そうして切り離して考えること自体がもう直感に反するので、「普通ではないこと」として排されがち。何なら、切り離して考える人自体を異常者として排斥することすらある。
なんかこう、「迷惑な奴」「面倒な奴」を排除するのは正しいことだと思われている気はします。まあ自分も嫌な奴とはあんまり仲良くしたくないですけど、自分たちが「選ぶ側」「評価する側」でいられるつもりの人間には複雑な心境を抱きがちですね……。
なんかこう、「迷惑な奴」「面倒な奴」を排除するのは正しいことだと思われている気はします。まあ自分も嫌な奴とはあんまり仲良くしたくないですけど、自分たちが「選ぶ側」「評価する側」でいられるつもりの人間には複雑な心境を抱きがちですね……。
"いい人"、日本人でも障害者とかは基本そこに入らない。 というか居てほしい障害者と居てほしくない障害者がいる。
ハイパーメリトクラシー とフェミニズム と優生思想の三題噺が久しぶりにできそうではあるが、多分問題は「キモい・怖い」と優生思想の結びつきなんだよね
Twitterの方で「団地っぽいホテルに泊まった」というツイートがあり、「へー、どこだろ」と思ったら、何故かホテルではなくツイート主が自己紹介ツイートで外部リンクを貼っていた。 お前じゃないよ!興味あるのは!団地みたいなホテルの方だよ! あまりにイライラしてブロックしてしまったが、他のリプライを見ても、「どこのホテルなのか」を気にしている人が誰もいない。 「狂っているのは俺か、世界か。どっちだ」という気分になった。 最近は本当に写真の場所を書かないし、誰も問わないツイートが多い。 「現地に行く前提に立っていない」という意味で、時代の感性の変化を感じる。
自分の場合は、ウェブ日記というよりは、個人ニュースサイトの感覚が強いので、SNSにしてもそういう利用をしてる。RSSなんかは、ニュースヘッドラインの垂れ流しだと思ってるし。
で、おれはというと SNS の主な使い方のひとつが反応クソリプであって、これは SNS というかミニブログだった頃から変わっていない、二流の web 日記者としての自己がここにあるというわけだが、ただしおれは他人の post に直接リプライはほとんどしない。なんでかというと「自分が書くためのキッカケとして他人を必要としているが(ダサいので)、それをそのひとに読んでもらいたいとは全然思ってないから」だ。SNS というよりは、やはり日記の感覚なのだねという…。
インターネットというものはオープンアクセスかつフリーアクセスな公共空間というのが基本状態なので、それを私的空間として利用するには、技術的な工夫が必要になるんだけど、それを社会関係資本で押し通すというか、「みんながそうしてる」ということで無理やりそういうものとして利用してしまうような使い方をしている人が相当数いるということなんだとは思った。 どうすべきというようなことではなく、人間が運用している人工空間においては、技術的制約に反する利用をすれば、綻びが出るのは残念ながら当然とも言えるわけだけど、圧倒的な社会関係資本は、それすらも仮想的に「ないもの」としてしまう。
…みたいな流れでいって、他人にクソリプ扱いされる一言コメントがんばって書いてる人々というのは「反応日記ばっか書いてるかつての二流 web 日記者」なのだが、現代でそれはあたりまえといえて、なにいってんだそれ以外の何のやりようがあんだよという気持ちだ。わかってる人間は本でも読んでその感想文とかをがんばって書いたり、現場に行って post している。でもそんなのわかる必要あるか?ないと思う。 あとクソリプ批判で気になるのはやはり「他人の掲示板でおまえの日記を書くな」問題の末裔と思われる感覚で、SNS 空間に個人の領域などは元々ないのであって、公共空間を私有してる感覚には隙があるのではと思う。
…みたいな流れでいって、他人にクソリプ扱いされる一言コメントがんばって書いてる人々というのは「反応日記ばっか書いてるかつての二流 web 日記者」なのだが、現代でそれはあたりまえといえて、なにいってんだそれ以外の何のやりようがあんだよという気持ちだ。わかってる人間は本でも読んでその感想文とかをがんばって書いたり、現場に行って post している。でもそんなのわかる必要あるか?ないと思う。 あとクソリプ批判で気になるのはやはり「他人の掲示板でおまえの日記を書くな」問題の末裔と思われる感覚で、SNS 空間に個人の領域などは元々ないのであって、公共空間を私有してる感覚には隙があるのではと思う。
では現在はというと SNS 以外誰もやってない時代であって、SNS というのは「SNS で見たなにかに反応するメディア」なので、「SNS で延々生活の話してるやつって、なんで SNS やってんのかわかんない」扱いされがちではあるものの、まあ実際一定の需要はある。かっこよさも感じる。でも現在のインターネットで必要とされているのは政治的なかっこよさであって、それは反応や対抗言説を多く必要とする。かつての「取材者」は後景化して、それを料理して激甘にしたり激辛にするウデが問われている。
むかしの web 日記人間にはある程度通じると思うのだが「かっこいい web 日記というのは、そいつの生活をトリガーとして書かれる」という価値観のようなものがあり、これがなにかというと「インターネットで見かけたなにかをきっかけとして、それへの反応として日記を書く」はダセエ(が我々は基本ダサいので平常運転ではそれをしばしばやっちゃう)ということで、そーいう価値観の末梢として「デイリーお題とかトレンドとかホットエントリーにぶら下がるみたいなエントリを一段低く見る傾向」とかになり、辿れば「インターネットはまだ情報が少ないので、情報を外から(つまり生活から)持ち込んでくるヤツは偉い」とかに繋がる。
なんで良いサービスも時間が経つとこういうおかしな機能を足してきたりするようになるかねえ Discordの「オンラインになったとき、フレンドに通知する」機能が不評 「かまちょすぎる」「勝手に伝えないで」
Discordの「オンラインになったとき、フレンドに通知する」機能が不評 「かまちょすぎる」「勝手に伝えないで」
ゲーマー向けチャットツール「Discord」が備える「自分がオンラインになったとき、フレンドに通知する」機能がXで不評だ。Xでは「用もないのに勝手にかまちょ(かまってちょうだいの略語)しないでほしい」「すでに通知があったら申し訳ない」など“余計なお世話”として受け止められている。
itmedia.co.jp
これはしかし、「無視するな!」と訴える悲痛な叫び声なのではないかとは思ってる。自分を実例として挙げる人は自分自身の存在を、自分の見解を提示する人は自分の意見自体を、それぞれ「存在しないもの」として扱われたという異議申し立てをしているのではないか。 実際、そういう人達の立場や意見は、普段から捨て置かれる傾向にあり、だからこそ世間一般に対して不信と不安を抱え、精神の平衡を乱しがちになっていて、SNSで「一般化」された意見を見ると、「自分はここにいるぞ!」と、そこに含まれていないことについて意義の声を上げる。
最近よく見る「論旨をきちんと理解しないクソリプマン」の話の近縁として「属性の傾向や多数派の話をしてる所に『俺は違うぞ!』とか『これはどうなんですか(笑)?』みたいな例外を持ち出してくる奴」という種類もおり、自分が苦言を呈す側にも呈される側にもちょくちょくなるのでなんとも言えない感を持っている
最近よく見る「論旨をきちんと理解しないクソリプマン」の話の近縁として「属性の傾向や多数派の話をしてる所に『俺は違うぞ!』とか『これはどうなんですか(笑)?』みたいな例外を持ち出してくる奴」という種類もおり、自分が苦言を呈す側にも呈される側にもちょくちょくなるのでなんとも言えない感を持っている
自分の通ってた地元の公立中学校は、完全にサザンクロスタウンで、本当に物理的に人が吊るされていたり、「戦争(抗争)」の情報を仕入れて戦地に近寄るのを避けなければ安全な生活ができなかったりしたので、絶対に戻りたくない。戻るなら、小学生時代か高校生時代でないと。中学はダメだ。絶対にダメだ。あんなスラムに二度と戻りたくない。
やり直したい人生のイベントやこうありたかったというロールモデルがないし、世界がこうあるべきだったみたいな話は豚の手にはあまる 例えばめちゃくちゃ金を手に入れてTwitterを買ったとする いや管理したくねえなこんなとこ……
人生をもう一回中学くらいからやり直してくださいと言われたら、かなり厳しい 多分「就職はしない、競馬と株でなんとかなる」になるが、親からなんか言われるめんどくささとどう相対するかなど、どうしようもない事で悩まされることになる もうそんな事さえ面倒
「タグ」って自己を相対化して対象化する働きがあるわけだけれども、中年男性に関わる問題ってそういう相対化の拒絶が根っこにあるような感じがすんだよなー 老いていく自己を無視する感覚というか…
「めぐまれない中年男性」というタグが、そこに独自性があんまりないという話なのかなぁと思っている(※「ロスジェネ」とかなら別) 「貧困」にしろ「非正規労働」にしろ「性的な充足がない」にしろ「人間関係が希薄」にしろ、それって「中年男性」に強固に紐付いているものなんだっけ? っていう まあ結びつきがなくても作品にはなったりするので、でもそういうのがみたいなら洋画探したらいいのではないか、とも思うな(日本の漫画はこういうとき[女]というタグに流れがちな環境だから…)
人間の好みの話は、自分自身でも自分の好みがよく分からないし、そもそも人間関係ばかりが主体の話は苦手なので、もっとこう、SFやファンタジー的な大掛かりな話とか、爆発や流血の派手な話でないと、わざわざフィクションで摂取しようという気にはなれない。 好みと言えそうな俳優はいるが、好みの役柄をやることが多いから覚えているという程度だし、だからこそ女性俳優についてはほとんど何とも思わない。 だいたいにおいて、自分の好みについて話すこと自体に、薄っすら苦手意識がある。明示的に安全が保証されないのであれば話すことに抵抗がある。だから自己開示が足りないということで敬遠されることも多い。しんどい。
社会性を持つ人間は単純に「頼りになる人が好き」という機能があり、じゃあ頼りになるってなに? となったときにプリミティブに「力が強い」とか「足が速い」とかの肉体的強さに魅かれが出る、小学生とかですらもうそれが始まる 嫌な奴を撃退できる、退治してくれる「暴力」には基本的に魅力的に人を見せる力がかなりある、ということは自覚しておいたほうがいいと思う 本当に人間は引っかかりやすいと思っているので
ろきおは、私にだけ優しい殺人鬼に萌えてるメインの層って、全然非男性ジェンダーじゃないとおもう! 全人類と思う! オタク男子はとくに弱いと思ってるよ、みろよ奈須きのこの人気っぷりを いつまでも月姫の話をしてる人たちを! 男だってfateのギルガメッシュさんに特別に褒められたら喜んでいる!!(cccの話してます)