佐藤裕樹 Yuki Sato

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制作と批評。「してみてよきにつくべし」ー世阿弥ー

シネマヴェーラ渋谷にてハワード・ホークス監督『空軍(1943)』を見ました。ヌーヴェルヴァーグの映画監督たちは、自らを「ヒッチコック=ホークス主義者」と名乗っていましたが、ホークスの重要性に着目した点に、彼らの特異なセンスがある様に思います。著書「作家主義」収録のホークスへのインタビューの聞き手がすごい。トリュフォーとリヴェット、そしてジャック・ベッケル!当然ながらそこにホークスがいた訳で、歴史的大事件です。更にフォークナーと友人でもあり、シナリオを何本も書いてもらっている。『空軍』の偉大さは、人が静かに確実に死んでいきながら粛々と作動し継続する戦争が、極めて正確に捉えられている点にあります。

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リタ・アゼヴェード・ゴメス監督の『Fuck the Polis』は、しみじみいいな、と思う作品だった。冒頭の、輪になって踊りながら歌う人々を映した場面から、なによりもまず、歌の映画だと思った。歌と、朗読が要となる映画。詩や散文作品のテクストが、手紙のように読みあげられているのがよかった。途中、登場する雛罌粟の赤が鮮やかで、しばらくの間眼に残った。穏やかな気候の土地が映されてはいるものの、この作品は、けして安閑とした旅行記ではないのだと思った。併映されたインタビュー映像もよかった。「話が終わらないわね」「私のお喋りに付き合ってくれてありがとう」と笑うリタ監督は、とてもチャーミングで素敵だった。

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気をつけて ほとんど音にならない響 樹からはなれた実 途切れないしらべのなかの 森の深いしずけさ とマンデリシュタームは書いた 人のいない森で木の実が落ちる 音はするか しないか だれにも聞こえなかった音は 音とは言えない でも人がいてもいなくても 木の実は落ちる 落ちれば音がする 音はする しかしそれは音ではない いや 音とは言えず 音でないとも言えない 「声・文字・音」 高橋 悠治  www.suigyu.com/yuji/ja-text...

高橋悠治のこのテクストのマンデリシュタームの引用、ちょうど澤直哉が『架空線』で試訳している箇所と同一です。この詩人の話は、高柳聡子さんとアレクサンドラ・プリマックさんの往復書簡 「「あなたへ」と「あなたから」のあわいで」でも(とても印象的なかたちで)出てきています。香港でマンデリシュタームを愛読している詩人がいるというのは、国家暴力の犠牲という視点をふまえれば、非常に興味深いです。 www.suigyu.com/yuji/ja-text...

声・文字・音

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ピアニスト・高橋アキさんと、作曲家で水戸国際音楽祭総合ディレクター中堀海都さんが、作曲家・武満徹について語る映像が、素晴らしいです。水戸国際音楽祭2026は、今年没後30年の武満徹をテーマに意欲的なプログラムを組んでいます。高橋アキピアノ・リサイタル『音の余白と記憶』では、サティ、ケージ、フェルドマン、武満徹、シューベルトと、最重要な作曲家が並んでいますので、何とか聴きに行けないかと画策中です。さらに年末には今年生誕100年フェルドマン最後の作品《ピアノ・ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ》が控えていますので、今からとても楽しみです。 www.youtube.com/watch?v=9TmN...

高橋アキ × 中堀海都|武満徹の音楽をめぐって

YouTube video by 水戸国際音楽祭 / Mito International Music Festival

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シネマヴェーラ渋谷にてドン・シーゲル『第十一監房の暴動(1954)』、ルイス・アレン監督『三人の狙撃者(1954)』を見ました。『映画を輝かせるために ー蓮實重彦 山田宏一 山根貞男 映画談義集成』刊行記念特集上映ですが、素晴らしいプログラム。この二作品の上映時間は81分と77分。過不足なく簡潔、澱みなく的確な構成に、脱帽。刑務所の劣悪な環境に対して暴動を起こす囚人たちと、彼らの最大の敵と思われていた刑務所長が、鏡に映る自分のように近しい存在であることは、ドン・シーゲルを氏と仰ぐイーストウッド作品と共鳴する主題です。アメリカン・スナイパーを描いた『三人の狙撃者』は今回初見でしたが、最高ですね。

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シネマヴェーラ渋谷にてジャン・ルノワール監督『黄金の馬車(1952)』を見ました。ルノワールの最高傑作とも言われる今作、それはつまり映画史上最高の一本という事になりますが、私もその意見に全面的に賛成致します。しかしルノワールが撮ったもの全てが最高傑作なのであり・・、というよりもそんな価値基準が馬鹿馬鹿なってしまう大きさこそルノワールなのであり、『黄金の馬車』のアンナ・マニャーニの美しい声を、そのイタリア語の音楽的な響きを聞けば、そういう事は一切合切忘れてしまい、見終えて思い返すと物語すらイマイチ思い出せない。あの素晴らしい笑い声と、ルノワールが讃えるアンナ・マニャーニの高貴さだけが、心に残る。

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今年2月に発売された友枝昭世先生の素晴らしいDVDBOX『友枝昭世の能 自撰12曲』。DVDもさることながら予約購入限定特典の、昭世先生の芸談集『能 私の来た道』が、これまた素晴らしい内容なんです。事前では小冊子というアナウンスでしたが、届いてビックリ。なんと109ページもある・・。そんな芸談集『能 私の来た道』が付いたDVDBOXが、11月1日の友枝会開催に合わせて期間限定で復活販売しております。ご購入をご検討の方は、この機会に是非ともご購入下さいませ。このDVDBOX、とてつもなく凄いです。ただただ圧倒されます。 tomoeda-kai.com/message_topi...

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詩は言葉の一形態であり、その本質上対話的なものである以上、いつの日かどこかの岸辺にーおそらくは心の岸辺にー流れつくという(かならずしもいつも期待にみちてはいない)信念の下に投げこまれる投壜通信のようなものかもしれません。詩は、このような意味でも、途上にあるものですー何かをめざすものです。 何をめざすのでしょう?何かひらかれているもの、獲得可能なもの、おそらくは語りかけることのできる「あなた」、語りかけることのできる現実を目指しているのです。 そのような現実こそが詩の関心事、とわたしは思います。 「パウル・ツェラン詩文集(白水社)飯吉光夫 編訳」

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 航海者は遭難の危機に臨んで、自分の名と自分の運命を記した手紙を瓶に封じ込め海へ投じる。幾多の歳月を経て、砂浜をそぞろ歩いていて、わたしは砂に埋もれた瓶を見つけ、手紙を読んで遭難の日付けと遭難者の最後の意思を知る。わたしにはそうする権利がある。わたしは他人あての手紙を開封したりはしない。瓶に封じ込められた手紙は、瓶を見つけた者へあてて書かれているのだ。見つけたのは、わたしだ。つまり、このわたしこそ秘められた名宛人なのである。 オシップ・マンデリシュターム「対話者について」『詩集 石/エッセイ 対話者について』早川眞理訳

フェルドマンは、ペルシャなど中近東の手織りの絨毯が好きで沢山集めていたんです。バッファローにある静かな彼の部屋で、私に色んなコレクションを見せながら話してくれた。絨毯を拵えることで貧しい生活を支えている女たち。どのようにして図柄を心を込めて織り込んでいくか。時々図案をちょっと変化させて。それは創造行為そのものだ、とフェルドマンは感激して言うんです。そして女達の仕事ぶりと工夫の仕方を眺めて、自分も作曲の仕方を学んだと。こうして織られた絨毯の上にイスラムの人々は跪き、お祈りする。額を絨毯に擦りつけて出来た凹みが残っている・・。そこから音楽的インスピレーションを得て、今度はフェルドマンが紡ぎ上げる。

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代官山ヒルサイドテラスにてモートン・フェルドマン作曲『フィリップ・ガストンのために(1984)』を聴きました。1985年4月21日の世界初演から41年を経ての日本初演、これだけで大偉業です。若き演奏者である丁 仁愛 (フルート/ピッコロ/アルトフルート)・會田 瑞樹 (パーカッション)・横山 博 (ピアノ/チェレスタ)の4時間半を超える演奏が、とても素晴らしかった。2027年には『ピアノと弦楽四重奏(高橋アキ、アミティ・カルテット)』・『弦楽四重奏曲 第2番(フェルドマン・カルテット)』が予定されています。『弦楽四重奏曲 第2番』の会場は、フランク・ロイド・ライト設計の自由学園朝日館とのこと!

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文化村ル・シネマにてエドワード・ヤン監督『ヤンヤン 夏の想い出 (2000)』を見ました。3時間の上映時間、緊張が緩む事は一切なく、まるで地に落ちて粉々になる直前のガラスのコップを見続けているかの様だ。私たちの間に在る透明な壁を、ヤン監督はカメラに映す。見えているのに、触れる事ができない。ヤンヤンが撮る背中の様に、私達は自分の心を捉えられない。成瀬巳喜男監督についてヤン監督は「さりげない優しさという強靭で不可視のスタイル」という極めて美しい文章を書かれている。「ヤンヤン」はさりげない映画です。最後にヤン監督らしいお言葉を。 「あなたは何故映画をつくるのですか?」 「多くを語らなくてすむから」

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シネマート新宿にてエドワード・ヤン監督『カップルズ(1996)』を見ました。原題・英題ともに『麻將(マージャン)』ですが、映画を見ながら思い浮かべた言葉がウォーレン・バフェットが有名にした格言『ポーカーをやり始めて20分たっても誰がカモかわからない場合は、 あなたがカモなのだ』でしたので、やはり原題がこの映画を的確に表していると思います。レッドフィッシュとルンルンを取り違える間抜けなヤクザの滑稽な顛末の裏側で、同じ様にレッドフィッシュもある人物を巡り取り違えをする。しかし結果は取り返しのつかぬ悲惨なものとなる。表裏一体の喜劇と悲劇。「似通っており見分けがつかない」世界で、恋は奇跡のように映る。

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文化村ル・シネマにてエドワード・ヤン監督『海辺の一日(1983)』を見ました。剥き出しな形で、詰め込みすぎにこれでもかとエドワード・ヤンの主題が盛り込まれた長編映画デビュー作、こうあるべき華々しいデビュー作です。劇中の『もう一度、世界と触れ合いたい』という言葉は、エドワード・ヤン監督の全作品に通底音として響いている。「世界」という言葉を「今」と言い換える事もできる。この映画は鏡の中の鏡ならぬ、回想の中の回想という形式を持ち、一見すると混乱している様に見えますが、実はそうではない。ヤン監督は回想を「過去」を描くものではなく、「今」を見失った「今」を描くものと捉えている。それ故に「死」が露呈する。

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文化村ル・シネマにてエドワード・ヤン監督『恐怖分子 (1986)』を見ました。夜が明始めた薄暗い街を全速力で走るパトカーの赤いランプと、サイレン音を捉えたファーストショットに続き「恐怖分子」とタイトルが現れる。この映画を見る私たちは、すでに何かが起きてしまった後に投げ出されて、この時差は映画が終わるまで埋まる事がない。サイレン音を耳にした青年がカメラを手にして外へ出ると、誰か定かではない手の中にある銃を目にする。『恐怖分子』は距離の離れた対象を掴まえる銃とカメラ、そして電話を静物画のように撮影し、都市で繰り広げられる「shooting」を冷徹に捉える。銃弾のごとく、声が、言葉が、貫通してゆく。

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🎞️堀潤之先生がシネ・ヌーヴォのゴダール連続講義を公開してくれた🙌 ④から⑥は現地できいたが①から③も金払ってでもききたかった とてもありがたい youtu.be/uJkBrd7G_WA

ゴダール連続講義①:ジャン=リュック・ゴダール『映画史特別編』アフタートーク(シネ・ヌーヴォ、2026年8月29日開催)

YouTube video by 堀 潤之 (𝗝𝘂𝗻𝗷𝗶 𝗛𝗢𝗥𝗜)

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シネマヴェーラ渋谷にてボリス・バルネット監督『ミス・メンド (1926)』を見ました。もの凄い、とてつもなく面白い。サイレントでありながら251分の長さをもつ、この犯罪冒険活劇に比較できるのは、フリッツ・ラング監督『ドクトル・マブゼ』位かと思います。ラング監督のサスペンスに加えて、なんとマルクス兄弟の狂ったユーモアまで共存しているのが『ミス・メンド』の脅威的魅力です。そしてボリス・バルネットは監督主演でジャッキーチェンばりのアクションまで披露している。天才ですね。 バルネットの映画に対して仏頂面をするとすれば、その人は間抜けではないにしても、石のように頑なな心の持ち主に違いない。ーゴダールー

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『なにに例え様もない舞台であった』という言葉から綴られる演劇評論家・渡辺保さんの劇評『友枝昭世の「隅田川」』が素晴らしい。渡辺さんが書かれている通り、あの「隅田川」の『演劇としての密度の高さ』が、これほど的確な言葉に結実した事に感銘を受けます。 『真相を知った女は一瞬呆けた様な、茫然自失、空漠たる表情になる。人間はなにごとに出会えば、こんな表情になるのか。隅田の川べりである日起こった人間と運命の闘いは、一人の女の存在を超えてもっと深くもっと大きく恐ろしいものであった。女の表情は、その嵐の過ぎ去った後の廃墟に過ぎなかった』 watanabetamotsu.com/2024%E5%B9%B...

2024年11月国立能楽堂(友枝會) – 渡辺保の歌舞伎劇評

友枝昭世の「隅田川」  なにに例え様もない舞台であった。 舞台には、子を失った母の、いわば涙とか悲しみとかいっ…

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国立新美術館にて『ルーヴル美術館展ルネサンス』を見ました。東京に遊びにきた母が帰る日がたまたま開催初日に当たった為、せっかくだから行くかと行って参りました。先日の空海展も並びましたが、入場までに30分程並びました。普段並ばない性格の為「なんで平日昼間なのに混んでるんだ」「ダ・ヴィンチはなんでこんなに人気があるんだ」とイライラが募りつつ、ようやく展示へ入りましたが・・とてつもなく凄い!エル・グレコの偉大な肖像画なども展示されてますが、ほぼ別称《美しきフェロニエール》を見る為の展覧会です。この一枚には、その価値があります。また国立西洋美術館の常設展「クロード・モネ没後100周年」も素晴らしかった。

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喜多能楽堂にて『三十周年記念 五蘊会』を観ました。「五蘊会」は友枝雄人先生主催の会です。かくいう私も「五蘊会」の末席に連なる一人でございます。本年は演劇史上の名曲『松風』と、狂言『茶壷』という素敵な組み合わせ。演能前に『松風』について松岡心平先生のお話がありましたが、「これは私の妄想ですが・・」と三島由紀夫「豊饒の海」で名人野口兼資の舞う『松風』についての描写、松風・村雨姉妹の「風」「雨」のイメージ、分身というテーマについて縦横無尽に語られる、とても刺激的なお話でした。この日の狂言・能ともに素晴らしかった。そして翌日は、社中の素人会。どうにか終わりましたので、これから来年に向けて頑張ります。

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早稲田松竹にてヒッチコック監督『サイコ(1960)』を見ました。撮影ロバート・バークス、衣装イーディス・ヘッドという超一流とあえて組まず、短期間で撮影する低予算白黒映画として制作された。「大いに奇妙な映画、この映画は並の映画とは大いに違うから、客観的に考えヒットするか全く分からない」とヒッチコック自身が語っていますが、「映画史上の傑作」という名声ではなく、この「奇妙さ」をそのまま受け取るべきでしょう。冒頭、不動産屋の客の4万ドルをマリオンは横領しますが、ここに一切の葛藤がない。まるでブラックホール。逃亡するマリオンはベイツモーテルで宿帳に偽名を書き込む。この主題がノーマンへとなだれ込んで行く。

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早稲田松竹にてヒッチコック監督『裏窓(1954)』『めまい(1958)』を見ました。自室の窓から周囲の人々を見る事に取り憑かれたジェームズ・スチュアートにお手伝いの女性が、『またウィンドウショッピング?』と声をかける。この言葉は公開当時よりも、見る事が即金銭に結び付く2026年を予見的に批評している様に思えます。目前に絶命する程に美しいグレース・ケリーがいるのに向かいの家ばかり気にしてるんだから、あなたは病気確定です。『裏窓』は、どこかデュシャンの遺作を想起させます。またデュシャンの墓碑銘「死ぬのはいつも他人」は、大傑作『めまい』にピッタリの言葉に思えます。そして色彩の渦に飲み込まれる・・・。

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水曜に観たストローブ=ユイレは素晴らしかった。併映された2本のどちらも、はじめから終わりまで、ぼんやり眺めていても飽きることがなかった。ぼんやりしながら気づくと川面に走る襞だとか、草木のそよぎだとか、俳優の肩にかかる陽光だとか、画面の細部にじっと見入っていた。『あの彼らの出会い』の俳優が、一対一で対話を行うさまからはプラトンの対話篇を想起した。俳優たちは、神々の代理人のようだった。終盤暗転して、音楽が流れだしたときは何かがはじまったような気がした。ヴァイオリンの音色がうねる波のようだったから、川面の場面からはじまる『ジャン・ブリカールの道程』への移行も、シームレスに感じられたのかもしれない。

『近松物語』溝口健二の作品ではこれと『残菊物語』が抜けて好きで、たぶんどちらも10年に一度くらいのペースで見直している気がする。田中絹代の主演作に比べると死に至る悲恋物なのに明らかにローストレスなので溝口を初めて見るならこれがおすすめかも。あまりに淡白な脚本に溝口が難色を示したので若干リライトしたんでしたっけ。ラストで裸馬に乗せられた香川京子の口元に笑みを浮かべた横顔をこれみよがしではなくチラとだけみせる慎ましさには痺れる。ヴァレリー・ドンゼッリ監督でアナイス・ドゥームスティエ主演の『マルグリットとジュリアン』でこのラストが引用されているのですよね。

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没後50年 髙島野十郎展 @ 渋谷区立松濤美術館 「からすうり」の鮮やかな赤と影の対照、「境内の桜」の精緻な書き込みと桃色、こぶしとりんご、「古池」の枯草と池に映る像、「夏雲」の雲とどこまでも続いていく田舎道、 など見てまわるうちに細部に目が向くようになり、魅きつけられることに。 特に、継続的にモチーフにしている蝋燭、月、太陽の描き方の変遷がわかり見応えがあるし、その展示の仕方も圧巻。

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アテネフランセにてアンゲラ・シャーネレク監督『マルセイユ(2004)』、リタ・アゼヴェード・ゴメス監督『ある女の復讐(2012)』を見ました。『マルセイユ』は、シャーネレク監督の近作『ミュージック』同様に、あまり感心しませんでした。そして再見したかった『ある女の復讐』。改めて、素晴らしい映画です。「狂気の中に真理をみる」女が、「自らが選んだ仮面を使いこなせぬ者たち」に企てる壮絶な復讐劇。名優イザベル・ルトが登場した辺りから時空が歪み、「ある女」リタ・ドゥランが血だらけの心臓を獰猛な犬から奪い返して、その手に心臓を掴む時の静かな怒りが、胸を打つ。どこかドライヤー監督の『怒りの日』を思わせました。

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